く」
 狭山は直《ぢき》に枕の下なる袱紗包《ふくさづつみ》の紙入《かみいれ》を取上げて、内より出《いだ》せる一包《いつぽう》の粉剤こそ、正《まさ》に両個《ふたり》が絶命の刃《やいば》に易《か》ふる者なりけれ。
 女は二つの茶碗《ちやわん》を置並ぶれば、玉の如き真白の粉末は封を披《ひら》きて、男の手よりその内に頒《わか》たれぬ。
「さあ、その酒を取つてくれ。お前のには俺が酌をするから、俺のにはお前が」
「ああ可うござんす」
 雨はこの時漸く霽《は》れて、軒の玉水|絶々《たえだえ》に、怪禽《かいきん》鳴過《なきすぐ》る者両|三声《さんせい》にして、跡松風の音|颯々《さつさつ》たり。
 狭山はやがて銚子《ちようし》を取りて、一箇《ひとつ》の茶碗に酒を澆《そそ》げば、お静は目を閉ぢ、合掌して、聞えぬほどの忍音《しのびね》に、
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》」
 代りて酌する彼の想は、吾手《わがて》男の胸元《むなもと》に刺違《さしちが》ふる鋩《きつさき》を押当つるにも似たる苦しさに、自《おのづ》から洩出《もれい》づる声も打震ひて、
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏、南無《なむ》……阿弥陀《あみだ》……南無阿弥《なむあみ》……陀《だ》……仏《ぶつ》、南無《なむ》……」
 と両個《ふたり》は心も消入らんとする時、俄《にはか》に屋鳴《やなり》震動《しんどう》して、百雷一処に堕《お》ちたる響に、男は顛《たふ》れ、女は叫びて、前後不覚の夢か現《うつつ》の人影は、乍《たちま》ち顕《あらは》れて燈火《ともしび》の前に在り。
「貴方《あなた》方は、怪からん事を! 可けませんぞ」
 男は漸く我に復《かへ》りて、惧《お》ぢ愕《おどろ》ける目を※[#「※」は「目+登」、441−14]《みひら》き、
「ああ! 貴方《あなた》は」
「お見覚《みおぼえ》ありませう、あれに居る泊客《とまりきやく》です。無断にお座敷へ入つて参りまして、甚《はなは》だ失礼ぢや御座いますけれど、実に危い所! 貴下方はどうなすつたのですか」
 悄然《しようぜん》として面《おもて》を挙げざる男、その陰に半ば身を潜めたる女、貫一は両個《ふたり》の姿を※[#「※」は「目+句」、442−1]《みまは》しつつ、彼の答を待てり。
「勿論《もちろん》これには深い事情がお有んなさるのでせう。ですか
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