あふ》りて、
「さあ、お静」
女は何気無く受けながら、思へば、別の盃《さかづき》かと、手に取るからに胸潰《むねつぶ》れて、
「狭山さん、私は今更お礼を言ふと云ふのも、異な者だけれど、貴方は長い月日の間、私のやうなこんな不束者《ふつつかもの》の我儘者《わがままもの》を、能くも愛相《あいそ》を尽かさずに、深切に、世話をして下すつた。
私は今まで口には出さなかつたけれど、心の内ぢや、狭山さん、嬉いなんぞと謂ふのは通り越して、実に難有《ありがた》いと思つてゐました。その御礼を為たいにも、知つてゐる通の阿母《おつか》さんが在るばかりに唯さう思ふばかりで、どうと云ふ事も出来ず、本当《ほんと》に可恥《はづかし》いほど行届かないだらけで、これぢや余《あんま》り済まないから、一日も早く所帯でも持つやうに成つて、さうしたら一度にこの恩返しを為ませうと、私は、そればかりを楽《たのしみ》に、出来ない辛抱も為てゐたんだけれど、もう、今と成つちや何もかも水《み》……水《み》……水《みづ》の……泡。
つい心易立《こころやすだて》から、浸々《しみじみ》お礼も言はずにゐたけれど、狭山さん、私の心は、さうだつたの。もうこれぎりで、貴方も……私も……土に成つて了へば、又とお目には掛れ、ないんだから、せめては、今改めて、狭山さん、私はお礼を申します」
男は身をも搾《しぼ》らるるばかりに怺《こら》へかねたる涙を出《いだ》せり。
「もうそ、そ、そんな事……言つて……くれるな! 冥路《よみぢ》の障《さはり》だ。両箇《ふたり》が一処に死なれりや、それで不足は無いとして、外の事なんぞは念はずに、お静、お互に喜んで死なうよ」
「私は喜んでゐますとも、嬉いんですとも。嬉くなくてどうしませう。このお酒も、祝つて私は飲みます」
涙|諸共《もろとも》飲干して、
「あなた、一つお酌して下さいな」
注《つ》げば又|呷《あふ》りて、その余せるを男に差せば、受けて納めて、手を把《と》りて、顔見合せて、抱緊《だきし》めて、惜めばいよいよ尽せぬ名残《なごり》を、いかにせばやと思惑《おもひまど》へる互の心は、唯それなりに息も絶えよと祈る可かめり。
男は抱《いだ》ける女の耳のあたかも唇《くちびる》に触るる時、現《うつつ》ともなく声誘はれて、
「お静、覚悟は可いか」
「可いわ、狭山さん」
「可けりや……」
「不如《いつそ》もう早
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