事を言はないで、一処に……連れて……往つて……下さいよ」
「一処に往くとも!」
「一処に! 一処に往きますよ!」
「さあ、それぢやこ、この世の……別に一盃《いつぱい》飲むのだ。もう泣くな、お静」
「泣、泣かない」
「さあ、那裏《あすこ》へ行つて飲まう」
 男は先づ起ちて、女の手を把《と》れば、女はその手に縋《すが》りつつ、泣く泣く火鉢の傍《そば》に座を移しても、なほ離難《はなれがた》なに寄添ひゐたり。
「猪口《ちよく》でなしに、その湯呑《ゆのみ》に為やう」
「さう。ぢや半分づつ」
 熱燗《あつがん》の酒は烈々《れつれつ》と薫《くん》じて、お静が顫《ふる》ふ手元より狭山が顫ふ湯呑に注がれぬ。
 女の最も悲かりしは、げにこの刹那《せつな》の思なり。彼は人の為に酒を佐《たすく》るに嫻《なら》ひし手も、などや今宵の恋の命も、儚《はかな》き夢か、うたかたの水盃《みづさかづき》のみづからに、酌取らんとは想の外の外なりしを、唄《うた》にも似たる身の上|哉《かな》と、漫《そぞろ》に逼《せま》る胸の内、何に譬《たと》へん方《かた》もあらず。
 男は燗の過ぎたるに口を着けかねて、少時《しばし》手にせるままに眺《なが》めゐれば、よし今は憂くも苦くも、久《ひさし》く住慣れしこの世を去りて、永く返らざらんとする身には、僅《わづか》に一盃《いつぱい》の酒に対するも、又|哀別離苦《あいべつりく》の感無き能はざるなり。
 念《おも》へ、彼等の逢初《あひそ》めし夕《ゆふべ》、互に意《こころ》有りて銜《ふく》みしもこの酒ならずや。更に両個《ふたり》の影に伴ひて、人の情《なさけ》の必ず濃《こまやか》なれば、必ず芳《かうばし》かりしもこの酒ならずや。その恋中の楽《たのしみ》を添へて、三歳《みとせ》の憂《うさ》を霽《はら》せしもこの酒ならずや。彼はその酒を取りて、吉《よ》き事積りし後の凶の凶なる今夜の末期《まつご》に酬《むく》ゆるの、可哀《あはれ》に余り、可悲《かなし》きに過《すぐ》るを観じては、口にこそ言はざりけれど、玉成す涙は点々《ほろほろ》と散りて零《こぼ》れぬ。
「おまへの酌で飲むのも……今夜きりだ」
「狭山さん、私はこんなに苦労を為て置きながら、到頭一日でも……貴方と一処に成れずに、芸者|風情《ふぜい》で死んで了ふのが……悔《くやし》い、私は!」
 聞くも苦しと、男は一息に湯呑の半《なかば》を呷《
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