ど、内には入《い》らで、始より滝に向へる欄干《らんかん》に倚《よ》りて、偶《たまた》ま人中を迷ひたりし子の母の親にも逢《あ》ひけんやうに、少時《しばし》はその傍《かたはら》を離れ得ざるなりき。
楼前の緑は漸《やうや》く暗く、遠近《をちこち》の水音|冱《さ》えて、はや夕暮《ゆふく》るる山風の身に沁《し》めば、先づ湯浴《ゆあみ》などせばやと、何気無く座敷に入りたる彼の眼《まなこ》を、又|一個《ひとつ》驚かす物こそあれ。
鞄《かばん》を置いたる床間《とこのま》に、山百合《やまゆり》の花のいと大きなるを唯《ただ》一輪|棒挿《ぼうざし》に活《い》けたるが、茎形《くきなり》に曲《くね》り傾きて、あたかも此方《こなた》に向へるなり。
貫一は覚えず足を踏止めて、その※[#「※」は「目+登」、407−14]《みは》れる眼《まなこ》を花に注ぎつ。宮ははやここに居たりとやうに、彼は卒爾《そつじ》の感に衝《つか》れたるなり。
既に幾処《いくところ》の実景の夢と符合するさへ有るに、またその殊に夢の夢なる一本《ひともと》百合のここに在る事、畢竟《ひつきょう》偶合に過ぎずとは謂へ、さりとては余りにかの夢とこの旅との照応急に、因縁深きに似て、などかくは我を驚かすの太甚《はなはだし》き!
奇を弄《ろう》して益《ますます》出づる不思議に、彼は益|懼《おそれ》を作《な》して、或《あるひ》はこの裏《うち》に天意の測り難き者有るなからんや、とさすがに惑ひ苦めり。
やがて傍近《そばちか》く寄りて、幾許《いかばかり》似たると眺《なが》むれば、打披《うちひら》ける葩《はなびら》は凛《りん》として玉を割《さ》いたる如く、濃香|芬々《ふんふん》と迸《ほとばし》り、葉色に露気《ろき》有りて緑鮮《みどりあざやか》に、定《さだめ》て今朝《けさ》や剪《き》りけんと覚《おぼし》き花の勢《いきほひ》なり。
少《しばら》く楽まされし貫一も、これが為に興冷《きようさ》めて、俄《にはか》に重き頭《かしら》を花の前に支へつつ、又かの愁《うれひ》を徐々に喚起《よびおこ》さんと為つ。
「お風呂へ御案内申しませう」
その声に彼は婢《をんな》を見返りて、
「ああ、姐《ねえ》さん、この花を那裏《そつち》へ持つて行つておくれでないか」
「はあ、その花で御座いますか。旦那《だんな》様は百合の花はお嫌《きら》ひで?」
「いや、匂《にほひ
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