「私は嬉い。もう……もう思遺《おもひのこ》す事は無い。堪忍して下すつたのですね」
「まあ、この手を放せ」
「放さない! 私はこれで安心して死ぬのです。貫一さん、ああ、もう気が遠く成つて来たから、早く、早く、赦《ゆる》すと言つて聞せて下さい。赦すと、赦すと言つて!」
 血は滾々《こんこん》と益す流れて、末期《まつご》の影は次第に黯《くら》く逼《せま》れる気色。貫一は見るにも堪《た》へず心乱れて、
「これ、宮、確乎《しつかり》しろよ」
「あい」
「赦したぞ! もう赦した、もう堪……堪……堪忍……した!」
「貫一さん!」
「宮!」
「嬉い! 私は嬉い!」
 貫一は唯胸も張裂けぬ可く覚えて、言《ことば》は出《い》でず、抱《いだ》き緊《し》めたる宮が顔をば紛《はふ》り下つる熱湯の涙に浸して、その冷たき唇《くちびる》を貪《むさぼ》り吮《す》ひぬ。宮は男の唾《つばき》を口移《くちうつし》に辛《から》くも喉《のど》を潤《うるほ》して、
「それなら貫一さん、私は、吁《ああ》、苦《くるし》いから、もうこれで一思ひに……」
 と力を出《いだ》して刳《えぐ》らんと為るを、緊《しか》と抑へて貫一は、
「待て、待て待て! ともかくもこの手を放せ」
「いいえ、止めずに」
「待てと言ふに」
「早く死にたい!」
 漸《やうや》く刀を※[#「※」は「てへん+宛」、392−11]放《もぎはな》せば、宮は忽《たちま》ち身を回《かへ》して、輾《こ》けつ転《ころ》びつ座敷の外に脱《のが》れ出づるを、
「宮、何処《どこ》へ行く!」
 遣《や》らじと伸《の》べし腕《かひな》は逮《およ》ばず、苛《いら》つて起ちし貫一は唯|一掴《ひとつかみ》と躍り被《かか》れば、生憎《あやにく》満枝が死骸《しがい》に躓《つまづ》き、一間ばかり投げられたる其処《そこ》の敷居に膝頭《ひざがしら》を砕けんばかり強く打れて、※[#「※」は「足+(殕−歹)」、392−14]《のめ》りしままに起きも得ず、身を竦《すく》めて呻《うめ》きながらも、
「宮、待て! 言ふことが有るから待て! 豊、豊! 豊は居ないか。早く追掛けて宮を留めろ!」
 呼べど号《さけ》べど、宮は返らず、老婢は居らず、貫一は阿修羅《あしゆら》の如く憤《いか》りて起ちしが、又|仆《たふ》れぬ。仆れしを漸く起回《おきかへ》りて、忙々《いそがはし》く四下《あたり》を※[#「※」は「
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