もこんな回復《とりかへし》の付かない事を何で私は為ましたらう! 貫一さん、貴方の罰《ばち》が中《あた》つたわ! 私は生きてゐる空《そら》が無い程、貴方の罰が中つたのだわ! だから、もうこれで堪忍して下さい。よ、貫一さん。
さうしてとてもこの罰の中つた躯《からだ》では、今更どうかうと思つても、願なんぞの※[#「※」は「りっしんべん+(篋−竹)」、390−5]《かな》ふと云ふのは愚な事、未《ま》だ未だ憂目《うきめ》を見た上に思死《おもひじに》に死にでも為なければ、私の業《ごう》は滅《めつ》しないのでせうから、この世に未練は沢山有るけれど、私は早く死んで、この苦艱《くげん》を埋《う》めて了つて、さうして早く元の浄《きよ》い躯《からだ》に生れ替《かは》つて来たいのです。さう為たら、私は今度の世には、どんな艱難辛苦《かんなんしんく》を為ても、きつと貴方に添遂《そひと》げて、この胸に一杯思つてゐる事もすつかり善く聴いて戴《いただ》き、又この世で為遺《しのこ》した事もその時は十分為てお目に掛けて、必ず貴方にも悦《よろこ》ばれ、自分も嬉《うれし》い思を為て、この上も無い楽い一生を送る気です。今度の世には、貫一さん、私は決してあんな不心得は為ませんから、貴方も私の事を忘れずにゐて下さい。可《よ》うござんすか! きつと忘れずにゐて下さいよ。
人は最期《さいご》の一念で生《しよう》を引くと云ふから、私はこの事ばかり思窮《おもひつ》めて死にます。貫一さん、この通だから堪忍して!」
声震はせて縋《すが》ると見れば、宮は男の膝《ひざ》の上なる鋩《きつさき》目掛けて岸破《がば》と伏したり。
「や、行《や》つたな!」
貫一が胸は劈《つんざ》けて始てこの声を出《いだ》せるなり。
「貫一さん!」
無残やな、振仰ぐ宮が喉《のんど》は血に塗《まみ》れて、刃《やいば》の半《なかば》を貫けるなり。彼はその手を放たで苦き眼《まなこ》を※[#「※」は「目+爭」、391−3]《みひら》きつつ、男の顔を視《み》んと為るを、貫一は気も漫《そぞろ》に引抱《ひつかか》へて、
「これ宮、貴様は、まあこれは何事だ!」
大事の刃を抜取らんと為れど、一念|凝《こ》りて些《ちと》も弛《ゆる》めぬ女の力。
「これを放せ、よ、これを放さんか。さあ、放せと言ふに、ええ、何為《なぜ》放さんのだ」
「貫、貫一さん」
「おお、何だ」
前へ
次へ
全354ページ中283ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング