ひれふ》しぬ。
「豊、豊!」と老婢を呼ぶ声|劇《はげし》く縁続《えんつづき》の子亭《はなれ》より聞《きこ》ゆれば、直《ぢき》に走り行く足音の響きしが、やがて返し来《きた》れる老婢は客間に顕《あらは》れぬ。宮は未だ頭《かしら》を挙げずゐたり。可憐《しをらし》き束髪の頸元深《えりもとふか》く、黄蘖染《おうばくぞめ》の半衿《はんえり》に紋御召《もんおめし》の二枚袷《にまいあはせ》を重ねたる衣紋《えもん》の綾《あや》先《ま》づ謂はんやう無く、肩状《かたつき》優《やさし》う内俯《うつふ》したる脊《そびら》に金茶地《きんちやぢ》の東綴《あづまつづれ》の帯高く、勝色裏《かついろうら》の敷乱《しきみだ》れつつ、白羽二重《しろはぶたへ》のハンカチイフに涙を掩《おほ》へる指に赤く、白く指環《リング》の玉を耀《かがやか》したる、殆《ほとん》ど物語の画をも看《み》るらん心地して、この美き人の身の上に何事の起りけると、豊は可恐《おそろし》きやうにも覚ゆるぞかし。
「あの、申上げますが、主人は病中の事でございますもので、唯今|生憎《あいにく》と急に気分が悪くなりましたので、相済みませんで御座いますが中座を致しました。恐入りますで御座いますが、どうぞ今日《こんにち》はこれで御立帰《おたちかへり》を願ひますで御座います」
 面《おもて》を抑へたるままに宮は涙を啜《すす》りて、
「ああ、さやうで御座いますか」
「折角お出《いで》のところを誠にどうもお気毒さまで御座います」
「唯今|些《ちよつ》と支度を致しますから、もう少々置いて戴《いただ》きますよ」
「さあさあ、貴方《あなた》御遠慮無く御寛《ごゆるり》と遊ばしまし。又何だか降出して参りまして、今日《こんにち》はいつそお寒過ぎますで御座います」
 彼の起ちし迹《あと》に宮は身支度を為るにもあらで、始て甦《よみがへ》りたる人の唯在るが如くに打沈みてぞゐたる。やや久《ひさし》かるに客の起たんとする模様あらねば、老婢は又|出来《いできた》れり。宮はその時|遽《にはか》に身※[#「※」は「(尸+巾)+又」、353−11]《みづくろい》して、
「それではお暇《いとま》を致します。些《ちよつ》と御挨拶だけ致して参りたいのですから、何方《どちら》にお寝《よ》つてお在《いで》ですか……」
「はい、あの何でございます、どうぞもうおかまひ無く……」
「いいえ、御挨拶だけ
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