打つて二間も彼方《そなた》へ撥飛《はねとば》さるると斉《ひとし》く、大地に横面擦《よこづらす》つて僵《たふ》れたり。不思議にも無難に踏留《ふみとどま》りし車夫は、この麁忽《そこつ》に気を奪れて立ちたりしが、面倒なる相手と見たりけん、そのまま轅《かぢ》を回して逃れんとするを、俥の上なる黒綾《くろあや》の吾妻《あづま》コオト着て、素鼠縮緬《すねずみちりめん》の頭巾被《づきんかぶ》れる婦人は樺色無地《かばいろむじ》の絹臘虎《きぬらつこ》の膝掛《ひざかけ》を推除《おしの》けて、駐《と》めよ、返せと悶《もだ》ゆるを、猶《なほ》聴かで曳々《えいえい》と挽《ひ》き行く後《うしろ》より、
「待て、こら!」と喝《かつ》する声に、行く人の始て事有りと覚《さと》れるも多く、はや車夫の不情を尤《とが》むる語《ことば》も聞ゆるに、耐《たま》りかねたる夫人は強《しひ》て其処《そこ》に下車して返り来《きた》りぬ。
 例の物見高き町中なりければ、この忙《せはし》き際《きは》をも忘れて、寄来《よりく》る人数《にんず》は蟻《あり》の甘きを探りたるやうに、一面には遭難者の土に踞《つくば》へる周辺《めぐり》を擁し、一面には婦人の左右に傍《そ》ひて、目に物見んと揉立《もみた》てたり。婦人は途《みち》を来つつ被物《かぶりもの》を取りぬ。紋羽二重《もんはぶたへ》の小豆鹿子《あづきかのこ》の手絡《てがら》したる円髷《まるわげ》に、鼈甲脚《べつこうあし》の金七宝《きんしつぽう》の玉の後簪《うしろざし》を斜《ななめ》に、高蒔絵《たかまきゑ》の政子櫛《まさこぐし》を翳《かざ》して、粧《よそほひ》は実《げ》に塵《ちり》をも怯《おそ》れぬべき人の謂《い》ひ知らず思惑《おもひまど》へるを、可痛《いたは》しの嵐《あらし》に堪《た》へぬ花の顔《かんばせ》や、と群集《くんじゆ》は自《おのづか》ら声を歛《をさ》めて肝に徹《こた》ふるなりき。
 いと更に面《おもて》の裹《つつ》まほしきこの場を、頭巾脱ぎたる彼の可羞《はづか》しさと切なさとは幾許《いかばかり》なりけん、打赧《うちあか》めたる顔は措《お》き所あらぬやうに、人堵《ひとがき》の内を急足《いそぎあし》に辿《たど》りたり。帽子も鉄鞭《てつべん》も、懐《ふところ》にせしブックも、薩摩下駄《さつまげた》の隻《かたし》も投散されたる中に、酔客《すいかく》は半ば身を擡《もた》げて血を流せ
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