却《さんきやく》して湘水《しようすい》平に桂樹《けいじゆ》を※[#「※」は「石+欠」、288−10]却《しやくきやく》して月|更《さら》に明《あきらか》ならんを、丈夫《じようふ》志有《こころざしあ》りて……」
と唱《うた》ひ出《い》づる時、一隊の近衛騎兵《このえきへい》は南頭《みなみがしら》に馬を疾《はや》めて、真一文字《まいちもんじ》に行手を横断するに会ひければ、彼は鉄鞭《てつべん》を植《た》てて、舞立つ砂煙《すなけむり》の中に魁《さきがけ》の花を装《よそほ》へる健児の参差《しんさ》として推行《おしゆ》く後影《うしろかげ》をば、壮《さかん》なる哉《かな》と謂《いは》まほしげに看送《みおく》りて、
「我《われ》四方《しほう》に遊びて意《こころ》を得ず、陽狂《ようきよう》して薬を施す成都の市《し》」
と漫《そぞろ》にその詩の首《はじめ》をば小声《こごゑ》朗《ほがらか》に吟じゐたり。さては往来《ゆきき》の遑《いとまな》き目も皆|牽《ひか》れて、この節季の修羅場《しゆらば》を独《ひとり》天下《てんか》に吃《くら》ひ酔《ゑ》へるは、何者の暢気《のんき》か、自棄《やけ》か、豪傑か、悟《さとり》か、酔生児《のんだくれ》か、と異《あやし》き姿を見て過《すぐ》る有れば、面《おもて》を識らんと窺《うかが》ふ有り、又はその身の上など思ひつつ行くも有り。彼は太《いた》く酔《ゑ》へれば総《すべ》て知らず、町の殷賑《にぎはひ》を眺《なが》め遣《や》りて、何方《いづれ》を指して行かんとも心定らず姑《しばら》く立てるなりけり。
さばかり人に怪《あやし》まるれど、彼は今日のみこの町に姿を顕《あらは》したるにあらず、折々散歩すらんやうに出来《いでく》ることあれど、箇様《かよう》の酔態を認むるは、兼て注目せる派出所の巡査も希《めづら》しと思へるなり。
やがて彼は鉄鞭《てつべん》を曳鳴《ひきなら》して大路を右に出でしが、二町ばかりも行きて、乾《いぬゐ》の方《かた》より狭き坂道の開きたる角《かど》に来にける途端《とたん》に、風を帯びて馳下《はせくだ》りたる俥《くるま》は、生憎《あいにく》其方《そなた》に※[#「※」は「足+禹」、289−7]《よろめ》ける酔客《すいかく》の※[#「※」は「月+(賺−貝)」、289−7]《よわごし》の辺《あたり》を一衝撞《ひとあてあ》てたりければ、彼は郤含《はずみ》を
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