くて止みぬべきを想ひて私《ひそか》に懽《よろこ》べり。
直道は先《ま》づ厳《おごそか》に頭《かしら》を掉《ふ》りて、
「学者でも商業家でも同じ人間です。人間である以上は人間たる道は誰にしても守らんければなりません。私《わたし》は決して金儲を為るのを悪いと言ふのではない、いくら儲けても可いから、正当に儲けるのです。人の弱みに付入《つけい》つて高利を貸すのは、断じて正当でない。そんな事が営業の魂などとは……! 譬《たと》へば間が災難に遭《あ》つた。あれは先は二人で、しかも不意打を吃《くは》したのでせう、貴方はあの所業を何とお考へなさる。男らしい遺趣返《いしゆがへし》の為方とお思ひなさるか。卑劣|極《きはま》る奴等だと、さぞ無念にお思ひでせう?」
彼は声を昂《あ》げて逼《せま》れり。されども父は他を顧て何等の答をも与へざりければ、再び声を鎮《しづ》めて、
「どうですか」
「勿論《もちろん》」
「勿論? 勿論ですとも! 何奴《なにやつ》か知らんけれど、実に陋《きたな》い根性、劣《けち》な奴等です。然し、怨を返すといふ点から謂つたら、奴等は立派に目的を達したのですね。さうでせう、設《たと》ひその手段は如何《いか》にあらうとも」
父は騒がず、笑《ゑみ》を含みて赤き髭《ひげ》を弄《まさぐ》りたり。
「卑劣と言れやうが、陋《きたな》いと言れやうが、思ふさま遺趣返をした奴等は目的を達してさぞ満足してをるでせう。それを掴殺《つかみころ》しても遣りたいほど悔《くやし》いのは此方《こつち》ばかり。
阿父《おとつ》さんの営業の主意も、彼等の為方と少しも違はんぢやありませんか。間の事に就いて無念だと貴方《あなた》がお思ひなさるなら、貴方から金を借りて苦められる者は、やはり貴方を恨まずにはゐませんよ」
又しても感じ入りたるは彼の母なり。かくては如何なる言《ことば》をもて夫はこれに答へんとすらん、我はこの理《ことわり》の覿面《てきめん》当然なるに口を開かんやうも無きにと、心|慌《あわ》てつつ夫の気色を密《ひそか》に窺《うかが》ひたり。彼は自若として、却《かへ》つてその子の善く論ずるを心に愛《め》づらんやうの面色《おももち》にて、転《うた》た微笑を弄《ろう》するのみ。されども妻は能《よ》く知れり、彼の微笑を弄するは、必ずしも、人のこれを弄するにあらざる時に於いて屡《しばしば》するを。彼は今
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