ど、一処《いつしよ》に居たらさぞ好からうとは……」
「それは、私は猶《なほ》の事です。こんな内に居るのは可厭《いや》だ、別居して独《ひとり》で遣る、と我儘《わがまま》を言つて、どうなりかうなり自分で暮して行けるのも、それまでに教育して貰つたのは誰《たれ》のお陰かと謂へば、皆《みんな》親の恩。それもこれも知つてゐながら、阿父《おとつ》さんを踏付にしたやうな行《おこなひ》を為るのは、阿母《おつか》さん能々《よくよく》の事だと思つて下さい。私は親に悖《さから》ふのぢやない、阿父さんと一処に居るのを嫌《きら》ふのぢやないが、私は金貸などと云ふ賤《いやし》い家業が大嫌《だいきらひ》なのです。人を悩《なや》めて己《おのれ》を肥《こや》す――浅ましい家業です!」
身を顫《ふる》はして彼は涙に掻昏《かきく》れたり。母は居久《いたたま》らぬまでに惑へるなり。
「親を過《すご》すほどの芸も無くて、生意気な事ばかり言つて実は面目《めんぼく》も無いのです。然し不自由を辛抱してさへ下されば、両親ぐらゐに乾《ひもじ》い思はきつと為《さ》せませんから、破屋《あばらや》でも可いから親子三人一所に暮して、人に後指を差《ささ》れず、罪も作らず、怨《うらみ》も受けずに、清く暮したいぢやありませんか。世の中は貨《かね》が有つたから、それで可い訳のものぢやありませんよ。まして非道をして拵《こしら》へた貨《かね》、そんな貨《かね》が何の頼《たのみ》になるものですか、必ず悪銭身に附かずです。無理に仕上げた身上《しんじよう》は一代持たずに滅びます。因果の報う例《ためし》は恐るべきものだから、一日でも早くこんな家業は廃《や》めるに越した事はありません。噫《ああ》、末が見えてゐるのに、情無い事ですなあ!」
積悪の応報|覿面《てきめん》の末を憂《うれ》ひて措《お》かざる直道が心の眼《まなこ》は、無残にも怨《うらみ》の刃《やいば》に劈《つんざか》れて、路上に横死《おうし》の恥を暴《さら》せる父が死顔の、犬に※[#「※」は「足+(榻−木)」、201−1]《け》られ、泥に塗《まみ》れて、古蓆《ふるむしろ》の陰に枕《まくら》せるを、怪くも歴々《まざまざ》と見て、恐くは我が至誠の鑑《かがみ》は父が未然を宛然《さながら》映し出《いだ》して謬《あやま》らざるにあらざるかと、事の目前《まのあたり》の真にあらざるを知りつつも、余りの
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