いちにん》は黒の中折帽の鐔《つば》を目深《まぶか》に引下《ひきおろ》し、鼠色《ねずみいろ》の毛糸の衿巻《えりまき》に半面を裹《つつ》み、黒キャリコの紋付の羽織の下に紀州ネルの下穿《したばき》高々と尻※[#「※」は「(塞−土)/衣」、191−3]《しりからげ》して、黒足袋《くろたび》に木裏の雪踏《せつた》を履《は》き、六分強《ろくぶづよ》なる色木《いろき》の弓の折《をれ》を杖《つゑ》にしたり。他は盲縞《めくらじま》の股引《ももひき》腹掛《はらがけ》に、唐桟《とうざん》の半纏《はんてん》着て、茶ヅックの深靴《ふかぐつ》を穿《うが》ち、衿巻の頬冠《ほほかぶり》に鳥撃帽子《とりうちぼうし》を頂きて、六角に削成《けずりな》したる檳榔子《びんろうじ》の逞きステッキを引抱《ひんだ》き、いづれも身材《みのたけ》貫一よりは低けれど、血気腕力兼備と見えたる壮佼《わかもの》どもなり。
「物取か。恨を受ける覚は無いぞ!」
「黙れ!」と弓の折[#「弓の折」に傍点]の寄るを貫一は片手に障《ささ》へて、
「僕は間貫一といふ者だ。恨があらば尋常に敵手《あひて》にならう。物取ならば財《かね》はくれる、訳も言はずに無法千万な、待たんか!」
答は無くて揮下《ふりおろ》したる弓の折は貫一が高頬《たかほほ》を発矢《はつし》と打つ。眩《めくるめ》きつつも迯《にげ》行くを、猛然と追迫《おひせま》れる檳榔子は、件《くだん》の杖もて片手突に肩の辺《あたり》を曳《えい》と突いたり。踏み耐《こた》へんとせし貫一は水道工事の鉄道《レイル》に跌《つまづ》きて仆《たふ》るるを、得たりと附入《つけい》る曲者は、余《あまり》に躁《はや》りて貫一の仆れたるに又跌き、一間ばかりの彼方《あなた》に反跳《はずみ》を打ちて投飛されぬ。入替《いりかは》りて一番手の弓の折は貫一の背《そびら》を袈裟掛《けさがけ》に打据ゑければ、起きも得せで、崩折《くづを》るるを、畳みかけんとする隙《ひま》に、手元に脱捨《ぬぎす》てたりし駒下駄《こまげた》を取るより早く、彼の面《おもて》を望みて投げたるが、丁《ちよう》と中《あた》りて痿《ひる》むその時、貫一は蹶起《はねお》きて三歩ばかりも※[#「※」は「しんにょう+官」、191−16]《のが》れしを打転《うちこ》けし檳榔子[#「檳榔子」に傍点]の躍《をど》り蒐《かか》りて、拝打《をがみうち》に下《おろ》せる杖
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