すくな》からず、同業者といへども時としては彼の余《あまり》に用捨無きを咎《とが》むるさへありけり。独《ひと》り鰐淵はこれを喜びて、強将の下弱卒を出《いだ》さざるを誇れるなり。彼は己《おのれ》の今日《こんにち》あるを致せし辛抱と苦労とは、未《いま》だ如此《かくのごと》くにして足るものならずとて、屡《しばし》ばその例を挙げては貫一を※[#「※」は「口+恚」、184−1]《そそのか》し、飽くまで彼の意を強うせんと勉《つと》めき。これが為に慰めらるるとにはあらねど、その行へる残忍酷薄の人の道に欠けたるを知らざるにあらぬ貫一は、職業の性質既に不法なればこれを営むの非道なるは必然の理《ことわり》にて、己《おのれ》の為《な》すところは都《すべ》ての同業者の為すところにて、己一人《おのれいちにん》の残刻なるにあらず、高利貸なる者は、世間一様に如此《かくのごと》く残刻ならざるべからずと念《おも》へるなり。故《ゆゑ》に彼は決して己の所業のみ独《ひと》り怨《うらみ》を買ふべきにあらずと信じたり。
 実《げ》に彼の頼める鰐淵直行の如きは、彼の辛《から》うじてその半《なかば》を想ひ得る残刻と、終《つひ》に学ぶ能《あた》はざる譎詐《きつさ》とを左右にして、始めて今日《こんにち》の富を得てしなり。この点に於ては彼は一も二も無く貫一の師表たるべしといへども、その実さばかりの残刻と譎詐《きつさ》とを擅《ほしいまま》にして、なほ天に畏《おそ》れず、人に憚《はばか》らざる不敵の傲骨《ごうこつ》あるにあらず。彼は密《ひそか》に警《いまし》めて多く夜|出《い》でず、内には神を敬して、得知れぬ教会の大信者となりて、奉納寄進に財を吝《をし》まず、唯これ身の無事を祈るに汲々《きゆうきゆう》として、自ら安ずる計《はかりごと》をなせり。彼は年来非道を行ひて、なほこの家栄え、身の全きを得るは、正《まさ》にこの信心の致すところと仕へ奉る御神《おんかみ》の冥護《みようご》を辱《かたじけ》なみて措《お》かざるなりき。貫一は彼の如く残刻と譎詐《きつさ》とに勇ならざりけれど、又彼の如く敬神と閉居とに怯《きよ》ならず、身は人と生れて人がましく行ひ、一《いつ》も曾《かつ》て犯せる事のあらざりしに、天は却《かへ》りて己を罰し人は却りて己を詐《いつは》り、終生の失望と遺恨とは濫《みだり》に断膓《だんちよう》の斧《をの》を揮《ふる》ひて、
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