は無いのだ。※[#「※」は「口+矣」、181−15]《ああ》、その宝は到底取復されん。宮が今罪を詑《わ》びて夫婦になりたいと泣き付いて来たとしても、一旦心を変じて、身まで涜《けが》された宮は、決して旧《もと》の宮ではなければ、もう間《はざま》の宝ではない。間の宝は五年|前《ぜん》の宮だ。その宮は宮の自身さへ取復す事は出来んのだ。返す返す恋《こひし》いのは宮だ。かうしてゐる間《ま》も宮の事は忘れかねる、けれど、それは富山の妻になつてゐる今の宮ではない、噫《ああ》、鴫沢の宮! 五年|前《ぜん》の宮が恋い。俺が百万円を積んだところで、昔の宮は獲《え》られんのだ! 思へば貨《かね》もつまらん。少《すくな》いながらも今の貨《かね》が熱海へ追つて行つた時の鞄《かばん》の中に在つたなら……ええ!!」
頭《かしら》も打割るるやうに覚えて、この以上を想ふ能《あた》はざる貫一は、ここに到りて自失し了るを常とす。かかる折よ、熱海の浜に泣倒れし鴫沢の娘と、田鶴見《たずみ》の底に逍遙《しようよう》せし富山が妻との姿は、双々《そうそう》貫一が身辺を彷徨《ほうこう》して去らざるなり。彼はこの痛苦の堪ふべからざるに任せて、ほとほと前後を顧ずして他の一方に事を為すより、往々その性の為す能はざるをも為して、仮《か》さざること仇敵《きゆうてき》の如く、債務を逼《せま》りて酷を極《きは》むるなり。退《しりぞ》いてはこれを悔ゆるも、又折に触れて激すれば、忽《たちま》ち勢に駆られて断行するを憚《はばか》らざるなり。かくして彼の心に拘《かかつら》ふ事あれば、自《おのづか》ら念頭を去らざる痛苦をもその間に忘るるを得べく、素《もと》より彼は正《せい》を知らずして邪を為し、是《ぜ》を喜ばずして非《ひ》を為すものにあらざれば、己《おのれ》を抂《ま》げてこれを行ふ心苦しさは俯《ふ》して愧《は》ぢ、仰ぎて懼《おそ》れ、天地の間に身を置くところは、纔《わづか》にその容《い》るる空間だに猶濶《なほひろ》きを覚ゆるなれど、かの痛苦に較べては、夐《はるか》に忍ぶの易く、体《たい》のまた胖《ゆたか》なるをさへ感ずるなりけり。
一向《ひたぶる》に神《しん》を労し、思を費して、日夜これを暢《のぶ》るに遑《いとま》あらぬ貫一は、肉痩《にくや》せ、骨立ち、色疲れて、宛然《さながら》死水《しすい》などのやうに沈鬱し了《をは》んぬ。その攅《
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