勁敵《けいてき》に遇《あ》ひ、悪徒に罹《かか》りて、或は弄《もてあそ》ばれ、或は欺かれ、或は脅《おびやか》され勢《いきほひ》毒を以つて制し、暴を以つて易《か》ふるの已《や》むを得ざるより、一《いつ》はその道の習に薫染して、彼は益《ますま》す懼《おそ》れず貪《むさぼ》るに至れるなり。同時に例の不断の痛苦は彼を撻《むちう》つやうに募ることありて、心も消々《きえきえ》に悩まさるる毎に、齷※[#「※」は「齒+昔」、181−1]《あくさく》利を趁《お》ふ力も失せて、彼はなかなか死の安きを懐《おも》はざるにあらず。唯その一旦にして易《やす》く、又今の空《むなし》き死を遂《と》げ了《をは》らんをば、いと効為《かひな》しと思返して、よし遠くとも心に期するところは、なでう一度《ひとたび》前《さき》の失望と恨とを霽《はら》し得て、胸裡《きようり》の涼きこと、氷を砕いて明鏡を磨《と》ぐが如く為ざらん、その夕《ゆふべ》ぞ我は正《まさ》に死ぬべきと私《ひそか》に慰むるなりき。
 貫一は一《いつ》はかの痛苦を忘るる手段として、一《いつ》はその妄執《もうしゆう》を散ずべき快心の事を買はんの目的をもて、かくは高利を貪《むさぼ》れるなり。知らず彼がその夕《ゆふべ》にして瞑《めい》せんとする快心の事とは何ぞ。彼は尋常|復讐《ふくしゆう》の小術を成して、宮に富山に鴫沢に人身的攻撃を加へて快を取らんとにはあらず、今|少《すこし》く事の大きく男らしくあらんをば企図《きと》せるなり。然れども、痛苦の劇《はげし》く、懐旧の恨に堪《た》へざる折々、彼は熱き涙を握りて祈るが如く嘆《かこ》ちぬ。
「※[#「※」は「口+矣」、181−10]《ああ》、こんな思を為るくらゐなら、いつそ潔く死んだ方が夐《はるか》に勝《まし》だ。死んでさへ了へば万慮|空《むなし》くこの苦艱《くげん》は無いのだ。それを命が惜くもないのに死にもせず……死ぬのは易《やす》いが、死ぬことの出来んのは、どう考へても余り無念で、この無念をこのままに胸に納めて死ぬことは出来んのだ。貨《かね》が有つたら何が面白いのだ。人に言はせたら、今|俺《おれ》の貯《たくは》へた貨《かね》は、高が一人の女の宮に換へる価はあると謂《い》ふだらう。俺には無い! 第一|貨《かね》などを持つてゐるやうな気持さへ為《せ》んぢやないか。失望した身にはその望を取復《とりかへ》すほどの宝
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