目」、173−9]然《ぼんやり》してゐるのだ」
彼はほとほと慄《をのの》きて、寧《むし》ろ蒲田が腕立《うでだて》の紳士にあるまじきを諌《いさ》めんとも思へるなり。腰弱き彼等の与《くみ》するに足らざるを憤れる蒲田は、宝の山に入《い》りながら手を空《むなし》うする無念さに、貫一が手も折れよとばかり捩上《ねぢあぐ》れば、
「ああ、待つた待つた。蒲田君、待つてくれ、何とか話を付けるから」
「ええ聒《やかまし》い。君等のやうな意気地無しはもう頼まん。僕が独《ひとり》で遣つて見せるから、後学の為に能く見て置き給へ」
かく言捨てて蒲田は片手して己《おのれ》の帯を解かんとすれば、時計の紐《ひも》の生憎《あやにく》に絡《からま》るを、躁《あせ》りに躁りて引放さんとす。
風「独《ひとり》でどうするのだよ」
彼はさすがに見かねて手を仮さんと寄り進みつ。
蒲「どうするものか、此奴《こいつ》を蹈縛《ふんじば》つて置いて、僕が証書を探すわ」
「まあ、余り穏《おだやか》でないから、それだけは思ひ止《とま》り給へ。今間も話を付けると言つたから」
「何か此奴《こいつ》の言ふ事が!」
間は苦《くるし》き声を搾《しぼ》りて、
「きつと話を付けるから、この手を釈《ゆる》してくれ給へ」
風「きつと話を付けるな――此方《こつち》の要求を容《い》れるか」
間「容れる」
詐《いつはり》とは知れど、二人の同意せざるを見て、蒲田もさまではと力挫《ちからくじ》けて、竟《つひ》に貫一を放ちてけり。
身を起すとともに貫一は落散りたる書類を掻聚《かきあつ》め、鞄《かばん》を拾ひてその中に捩込《ねぢこ》み、さて慌忙《あわただし》く座に復《かへ》りて、
「それでは今日《こんにち》はこれでお暇《いとま》をします」
蒲田が思切りたる無法にこの長居は危《あやふ》しと見たれば、心に恨は含みながら、陽《おもて》には克《かな》はじと閉口して、重ねて難題の出《い》でざる先にとかくは引取らんと為るを、
「待て待て」と蒲田は下司扱《げすあつかひ》に呼掛けて、
「話を付けると言つたでないか。さあ、約束通り要求を容《い》れん内は、今度は此方《こつち》が還《かへ》さんぞ」
膝推向《ひざおしむ》けて迫寄《つめよ》る気色《けしき》は、飽くまで喧嘩を買はんとするなり。
「きつと要求は容れますけれど、嚮《さつき》から散々の目に遭《あは》されて、
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