給へ」
「さあ、間、どうだ」
「友人の誼は友人の誼、貸した金は貸した金で自《おのづ》から別問題……」
 彼は忽ち吭迫《のどつま》りて言ふを得ず、蒲田は稍《やや》強く緊《し》めたるなり。
「さあ、もつと言へ、言つて見ろ。言つたら貴様の呼吸《いき》が止るぞ」
 貫一は苦しさに堪《た》へで振釈《ふりほど》かんと※[#「※」は「てへん+宛」、169−2]《もが》けども、嘉納流《かのうりゆう》の覚ある蒲田が力に敵しかねて、なかなかその為すに信《まか》せたる幾分の安きを頼むのみなりけり。遊佐は驚き、風早も心ならず、
「おい蒲田、可いかい、死にはしないか」
「余り、暴《あら》くするなよ」
 蒲田は哄然《こうぜん》として大笑《たいしよう》せり。
「かうなると金力よりは腕力だな。ねえ、どうしてもこれは水滸伝《すいこでん》にある図だらう。惟《おも》ふに、凡《およ》そ国利を護《まも》り、国権を保つには、国際公法などは実は糸瓜《へちま》の皮、要は兵力よ。万国の上には立法の君主が無ければ、国と国との曲直の争《あらそひ》は抑《そもそ》も誰《たれ》の手で公明正大に遺憾無《いかんな》く決せらるるのだ。ここに唯一つ審判の機関がある、曰《いは》く戦《たたかひ》!」
風「もう釈《ゆる》してやれ、大分《だいぶ》苦しさうだ」
蒲「強国にして辱《はづかし》められた例《ためし》を聞かん、故《ゆゑ》に僕は外交の術も嘉納流よ」
遊「余り酷《ひど》い目に遭せると、僕の方へ報《むく》つて来るから、もう舎《よ》してくれたまへな」
 他《ひと》の言《ことば》に手は弛《ゆる》めたれど、蒲田は未《いま》だ放ちも遣らず、
「さあ、間、返事はどうだ」
「吭《のど》を緊められても出す音《ね》は変りませんよ。間は金力には屈しても、腕力などに屈するものか。憎いと思ふならこの面《つら》を五百円の紙幣束《さつたば》でお撲《たた》きなさい」
「金貨ぢや可かんか」
「金貨、結構です」
「ぢや金貨だぞ!」
 油断せる貫一が左の高頬《たかほ》を平手打に絶《したた》か吃《くらは》すれば、呀《あ》と両手に痛を抑《おさ》へて、少時《しばし》は顔も得挙《えあ》げざりき。蒲田はやうやう座に復《かえ》りて、
「急には此奴《こいつ》帰らんね。いつそここで酒を始めやうぢやないか、さうして飲みかつ談ずると為《せ》う」
「さあ、それも可《よ》からう」
 独り可からぬは
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