わがれごゑ》の如何《いか》に弁ずるかを聴かんと、吃余《すひさし》の葉巻を火入《ひいれ》に挿《さ》して、威長高《ゐたけだか》に腕組して控へたり。
「遊佐君の借財の件ですがね、あれはどうか特別の扱《あつかひ》をして戴きたいのだ。君の方も営業なのだから、御迷惑は掛けませんさ、然し旧友の頼《たのみ》と思つて、少し勘弁をしてもらひたい」
 彼も答へず、これも少時《しばし》は言はざりしが、
「どうかね、君」
「勘弁と申しますと?」
「究竟《つまり》君の方に損の掛らん限は減《ま》けてもらひたいのだ。知つての通り、元金《もとこ》の借金は遊佐君が連帯であつて、実際頼れて印を貸しただけの話であるのが、測らず倒れて来たといふ訳なので、それは貸主の目から見れば、そんな事はどうでも可いのだから、取立てるものは取立てる、其処《そこ》は能《よ》く解つてゐる、からして今更その愚痴を言ふのぢやない。然し朋友の側から遊佐君を見ると、飛んだ災難に罹《かか》つたので、如何《いか》にも気の毒な次第。ところで、図《はか》らずも貸主が君と云ふので、轍鮒《てつぷ》の水を得たる想《おもひ》で我々が中へ入つたのは、営業者の鰐淵として話を為るのではなくて、旧友の間《はざま》として、実は無理な頼も聴いてもらひたいのさ。夙《かね》て話は聞いてゐるが、あの三百円に対しては、借主の遠林《とおばやし》が従来《これまで》三回に二百七十円の利を払つて在《あ》る。それから遊佐君の手で九十円、合計三百六十円と云ふものが既に入つてゐるのでせう。して見ると、君の方には既に損は無いのだ、であるから、この三百円の元金《もときん》だけを遊佐君の手で返せば可いといふ事にしてもらひたいのだ」
 貫一は冷笑せり。
「さうすれば遊佐君は三百九十円払ふ訳だが、これが一文も費《つか》はずに空《くう》に出るのだから随分|辛《つら》い話、君の方は未《ま》だ未だ利益になるのをここで見切るのだからこれも辛い。そこで辛さ競《くらべ》を為るのだが、君の方は三百円の物が六百六十円になつてゐるのだから、立前《たちまへ》にはなつてゐる、此方《こつち》は三百九十円の全損《まるぞん》だから、ここを一つ酌量してもらひたい、ねえ、特別の扱で」
「全《まる》でお話にならない」
 秋の日は短《みじか》しと謂《い》はんやうに、貫一は手形用紙を取上げて、用捨無く約束の金額を書入れたり。一斉に
前へ 次へ
全354ページ中115ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング