空嘯《そらうそぶ》きて貫一は笑へり。
「今更そんな事を!」
遊佐は陰《ひそか》に切歯《はがみ》をなしてその横顔を睨付《ねめつ》けたり。
彼も※[#「※」は「しんにょう+官」、157−9]《のが》れ難き義理に迫りて連帯の印捺《いんつ》きしより、不測の禍《わざはひ》は起りてかかる憂き目を見るよと、太《いた》く己《おのれ》に懲りてければ、この際人に連帯を頼みて、同様の迷惑を懸《か》くることもやと、断じて貫一の請求を容《い》れざりき。さりとて今一つの請求なる利子を即座に払ふべき道もあらざれば、彼の進退はここに谷《きはま》るとともに貫一もこの場は一寸《いつすん》も去らじと構へたれば、遊佐は羂《わな》に係れる獲物の如く一分時毎に窮する外は無くて、今は唯身に受くべき謂無《いはれな》き責苦を受けて、かくまでに悩まさるる不幸を恨み、飜《ひるがへ》りて一点の人情無き賤奴《せんど》の虐待を憤る胸の内は、前後も覚えず暴《あ》れ乱れてほとほと引裂けんとするなり。
「第一今日は未だ催促に来る約束ぢやないのではないか」
「先月の二十日《はつか》にお払ひ下さるべきのを、未《いま》だにお渡《わたし》が無いのですから、何日《いつ》でも御催促は出来るのです」
遊佐は拳《こぶし》を握りて顫《ふる》ひぬ。
「さう云ふ怪しからん事を! 何の為に延期料を取つた」
「別に延期料と云つては受取りません。期限の日に参つたのにお払が無い、そこで空《むなし》く帰るその日当及び俥代《くるまだい》として下すつたから戴きました。ですから、若《も》しあれに延期料と云ふ名を附けたらば、その日の取立を延期する料とも謂ふべきでせう」
「貴、貴様は! 最初十円だけ渡さうと言つたら、十円では受取らん、利子の内金《うちきん》でなしに三日間の延期料としてなら受取る、と言つて持つて行つたぢやないか。それからついこの間又十円……」
「それは確に受取りました。が、今申す通り、無駄足《むだあし》を踏みました日当でありますから、その日が経過すれば、翌日から催促に参つても宜《よろし》い訳なのです。まあ、過去つた事は措《お》きまして……」
「措けんよ。過去りは為んのだ」
「今日《こんにち》はその事で上つたのではないのですから、今日《こんにち》の始末をお付け下さいまし。ではどうあつても書替は出来んと仰有《おつしや》るのですな」
「出来ん!」
「で、金
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