です」
「それはさうだらう。然《しか》し凡《およ》そどんなものかね」
「旧《もと》は農商務省に勤めてをりましたが、唯今《ただいま》では地所や家作《かさく》などで暮してゐるやうでございます。どうか小金も有るやうな話で、鴫沢隆三《しぎさわりゆうぞう》と申して、直《ぢき》隣町《となりちよう》に居りまするが、極《ごく》手堅く小体《こてい》に遣《や》つてをるのでございます」
「はあ、知れたもんだね」
我《われ》は顔《がほ》に頤《おとがひ》を掻撫《かいな》づれば、例の金剛石《ダイアモンド》は燦然《きらり》と光れり。
「それでも可いさ。然し嫁《く》れやうか、嗣子《あととり》ぢやないかい」
「さやう、一人娘のやうに思ひましたが」
「それぢや窮《こま》るぢやないか」
「私《わたくし》は悉《くはし》い事は存じませんから、一つ聞いて見ませうで」
程無く内儀は環を捜得《さがしえ》て帰来《かへりき》にけるが、誰《た》が悪戯《いたづら》とも知らで耳掻《みみかき》の如く引展《ひきのば》されたり。主は彼に向ひて宮の家内《かない》の様子を訊《たづ》ねけるに、知れる一遍《ひととほり》は語りけれど、娘は猶能《なほよ》く知るらんを、後《のち》に招きて聴くべしとて、夫婦は頻《しきり》に觴《さかづき》を侑《すす》めけり。
富山唯継の今宵ここに来《きた》りしは、年賀にあらず、骨牌遊《かるたあそび》にあらず、娘の多く聚《あつま》れるを機として、嫁選《よめえらみ》せんとてなり。彼は一昨年《をととし》の冬|英吉利《イギリス》より帰朝するや否や、八方に手分《てわけ》して嫁を求めけれども、器量|望《のぞみ》の太甚《はなはだ》しければ、二十余件の縁談皆意に称《かな》はで、今日が日までもなほその事に齷齪《あくさく》して已《や》まざるなり。当時取急ぎて普請せし芝《しば》の新宅は、未《いま》だ人の住着かざるに、はや日に黒《くろ》み、或所は雨に朽ちて、薄暗き一間に留守居の老夫婦の額を鳩《あつ》めては、寂しげに彼等の昔を語るのみ。
第 二 章
骨牌《かるた》の会は十二時に※[#「※」は「しんにょう+台」、21−4]《およ》びて終りぬ。十時頃より一人起ち、二人起ちて、見る間に人数《にんず》の三分の一強を失ひけれども、猶《なほ》飽かで残れるものは景気好く勝負を続けたり。富山の姿を隠したりと知らざる者は、彼敗走して帰
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