りるのだ。借りて返さんと言ひは為《す》まいし、名誉に於て傷《きずつ》くところは少しも無い」
「恐入りました、高利《アイス》を借りやうと云ふ紳士の心掛は又別の物ですな」
「で、仮に一歩を譲るさ、譲つて、高利《アイス》を借りるなどは、紳士たるもののいとも慚《は》づべき行《おこなひ》と為るよ。さほど慚づべきならば始から借りんが可いぢやないか。既に借りた以上は仕方が無い、未《いま》だ借りざる先の慚づべき心を以つてこれに対せんとするも能《あた》はざるなりだらう。宋《そう》の時代であつたかね、何か乱が興《おこ》つた。すると上奏に及んだものがある、これは師《いくさ》を動かさるるまでもない、一人《いちにん》の将を河上《かじよう》へ遣《つかは》して、賊の方《かた》に向つて孝経《こうきよう》を読せられた事ならば、賊は自《おのづ》から消滅せん、は好いぢやないか。これを笑ふけれど、遊佐の如きは真面目《まじめ》で孝経を読んでゐるのだよ、既に借りてさ、天引四割《てんびきしわり》と吃《く》つて一月|隔《おき》に血を吮《すは》れる。そんな無法な目に遭《あ》ひながら、未《いま》だ借りざる先の紳士たる徳義や、良心を持つてゐて耐るものか。孝経が解るくらゐなら高利《アイス》は貸しません、彼等は銭勘定の出来る毛族《けだもの》さ」
得意の快弁流るる如く、彼は息をも継《つが》せず説来《とききた》りぬ。
「濡《ぬ》れぬ内こそ露をもだ。遊佐も借りんのなら可いさ、既に借りて、無法な目に遭ひながら、なほ未《いま》だ借りざる先の良心を持つてゐるのは大きな※[#「※」は「りっしんべん+(蜈−虫)」、149−12]《あやまり》だ。それは勿論《もちろん》借りた後といへども良心を持たなければならんけれど、借りざる先の良心と、借りたる後の良心とは、一物《いちぶつ》にして一物ならずだよ。武士の魂《たましひ》と商人《あきんど》根性とは元|是《これ》一物なのだ。それが境遇に応じて魂ともなれば根性ともなるのさ。で、商人根性といへども決して不義不徳を容《ゆる》さんことは、武士の魂と敢《あへ》て異るところは無い。武士にあつては武士魂なるものが、商人《あきんど》にあつては商人根性なのだもの。そこで、紳士も高利《アイス》などを借りん内は武士の魂よ、既に対高利《たいアイス》となつたら、商人根性にならんければ身が立たない。究竟《つまり》は敵に応ずる
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