に存すれども、そのままに年経にければ、改めて穿鑿《せんさく》もせられで、やがては、暖簾《のれん》を分けて屹《きつ》としたる後見《うしろみ》は為てくれんと、鰐淵は常に疎《おろそか》ならず彼が身を念《おも》ひぬ。直行は今年五十を一つ越えて、妻なるお峯《みね》は四十六なり。夫は心|猛《たけ》く、人の憂《うれひ》を見ること、犬の嚏《くさめ》の如く、唯貪《ただむさぼ》りて※[#「※」は「厭/食」、112−4]《あ》くを知らざるに引易へて、気立《きだて》優しとまでにはあらねど、鬼の女房ながらも尋常の人の心は有《も》てるなり。彼も貫一の偏屈なれども律義《りちぎ》に、愛すべきところとては無けれど、憎ましきところとては猶更《なほさら》にあらぬを愛して、何くれと心着けては、彼の為に計りて善かれと祈るなりける。
いと幸《さち》ありける貫一が身の上|哉《かな》。彼は世を恨むる余《あまり》その執念の駆《か》るままに、人の生ける肉を啖《くら》ひ、以つて聊《いささ》か逆境に暴《さら》されたりし枯膓《こちよう》を癒《いや》さんが為に、三悪道に捨身の大願を発起《ほつき》せる心中には、百の呵責《かしやく》も、千の苦艱《くげん》も固《もと》より期《ご》したるを、なかなかかかる寛《ゆたか》なる信用と、かかる温《あたたか》き憐愍《れんみん》とを被《かうむ》らんは、羝羊《ていよう》の乳《ち》を得んとよりも彼は望まざりしなり。憂の中の喜なる哉《かな》、彼はこの喜を如何《いか》に喜びけるか。今は呵責をも苦艱《くげん》をも敢《あへ》て悪《にく》まざるべき覚悟の貫一は、この信用の終《つひ》には慾の為に剥《は》がれ、この憐愍《れんみん》も利の為に吝《をし》まるる時の目前なるべきを固く信じたり。
(三) の 二
毒は毒を以て制せらる。鰐淵《わにぶち》が債務者中に高利借の名にしおふ某《ぼう》党の有志家某あり。彼は三年来|生殺《なまごろし》の関係にて、元利五百余円の責《せめ》を負ひながら、奸智《かんち》を弄《ろう》し、雄弁を揮《ふる》ひ、大胆不敵に構《かま》へて出没自在の計《はかりごと》を出《いだ》し、鰐淵が老巧の術といへども得て施すところ無かりければ、同業者のこれに係《かか》りては、逆捩《さかねぢ》を吃《く》ひて血反吐《ちへど》を噴《はか》されし者|尠《すくな》からざるを、鰐淵は弥《いよい》よ憎しと思へど
前へ
次へ
全354ページ中79ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
尾崎 紅葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング