ましよ」
「承知しました」
「もつと優《やさし》い言《ことば》をお聞せ下さいましな」
「私も覚えてゐます」
「もつと何とか有仰《おつしや》りやうが有りさうなものではございませんか」
「御志は決《け》して忘れません。これなら宜いでせう」
 満枝は物をも言はずつと起ちしが、飜然《ひらり》と貫一の身近に寄添ひて、
「お忘れあそばすな」と言ふさへに力籠《ちからこも》りて、その太股《ふともも》を絶《したた》か撮《つめ》れば、貫一は不意の痛に覆《くつがへ》らんとするを支へつつ横様《よこさま》に振払ふを、満枝は早くも身を開きて、知らず顔に手を打鳴して婢《をんな》を呼ぶなりけり。

     第 三 章

 赤坂氷川《あかさかひかわ》の辺《ほとり》に写真の御前《ごぜん》と言へば知らぬ者無く、実《げ》にこの殿の出《い》づるに写真機械を車に積みて随《したが》へざることあらざれば、自《おのづか》ら人目を※[#「※」は「しんにょう+官」、108−7]《のが》れず、かかる異名《いみよう》は呼るるにぞありける。子細《しさい》を明めずしては、「将棊《しようぎ》の殿様」の流かとも想はるべし。あらず! 才の敏、学の博、貴族院の椅子を占めて優に高かるべき器《うつは》を抱《いだ》きながら、五年を独逸《ドイツ》に薫染せし学者風を喜び、世事を抛《なげう》ちて愚なるが如く、累代の富を控へて、無勘定の雅量を肆《ほしいまま》にすれども、なほ歳《とし》の入るものを計るに正《まさ》に出づるに五倍すてふ、子爵中有数の内福と聞えたる田鶴見良春《たづみよしはる》その人なり。
 氷川なる邸内には、唐破風造《からはふづくり》の昔を摸《うつ》せる館《たち》と相並びて、帰朝後起せし三層の煉瓦造《れんがづくり》の異《あやし》きまで目慣れぬ式なるは、この殿の数寄《すき》にて、独逸に名ある古城の面影《おもかげ》を偲《しの》びてここに象《かたど》れるなりとぞ。これを文庫と書斎と客間とに充《あ》てて、万足《よろづた》らざる無き閑日月《かんじつげつ》をば、書に耽《ふけ》り、画に楽《たのし》み、彫刻を愛し、音楽に嘯《うそぶ》き、近き頃よりは専《もつぱ》ら写真に遊びて、齢《よはひ》三十四に※[#「※」は「しんにょう+台」、108−15]《およ》べども頑《がん》として未《いま》だ娶《めと》らず。その居るや、行くや、出づるや、入るや、常に飄然《ひよう
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