れば御飯をお附け申しますから、貴方も只今の御返事をなすつて下さいましな」
「返事と言はれたつて、有仰《おつしや》ることの主意が能《よ》く解らんのですもの」
「何故《なぜ》お了解《わかり》になりませんの」
 責むるが如く男の顔を見遣れば、彼もまた詰《なじ》るが如く見返しつ。
「解らんぢやありませんか。親い御交際の間でもない私に資本を出して下さる。さうしてその訳はと云へば、貴方も彼処《あすこ》を出る。解らんぢやありませんか。どうか飯を下さいな」
「解らないとは、貴方、お酷いぢやございませんか。ではお気に召さないのでございますか」
「気に入らんと云ふ事は有りませんが、縁も無い貴方に金を出して戴く……」
「あれ、その事ではございませんてば」
「どうも非常に腹が空《す》いて来ました」
「それとも貴方|外《ほか》にお約束でも遊ばした御方がお在《あん》なさるのでございますか」
 彼|終《つひ》に鋒鋩《ほうぼう》を露《あらは》し来《きた》れるよと思へば、貫一は猶《なほ》解せざる体《てい》を作《な》して、
「妙な事を聞きますね」
 と苦笑せしのみにて続く言《ことば》もあらざるに、満枝は図を外《はづ》されて、やや心惑へるなりけり。
「さう云ふやうなお方がお在《あん》なさらなければ、……私貴方にお願があるのでございます」
 貫一も今は屹《きつ》と胸を据ゑて、
「うむ、解りました」
「ああ、お了解《わかり》になりまして?!」
 嬉しと心を言へらんやうの気色《けしき》にて、彼の猪口《ちよく》に余《あま》せし酒を一息《ひといき》に飲乾《のみほ》して、その盃をつと貫一に差せり。
「又ですか」
「是非!」
 発《はずみ》に乗せられて貫一は思はず受《うく》ると斉《ひとし》く盈々《なみなみ》注《そそが》れて、下にも置れず一口附くるを見たる満枝が歓喜《よろこび》!
「その盃は清めてございませんよ」
 一々底意ありて忽諸《ゆるがせ》にすべからざる女の言を、彼はいと可煩《わづらはし》くて持余《もてあま》せるなり。
「お了解《わかり》になりましたら、どうぞ御返事を」
「その事なら、どうぞこれぎりにして下さい」
 僅《わづか》にかく言ひ放ちて貫一は厳《おごそ》かに沈黙しつ。満枝もさすがに酔《ゑひ》を冷《さま》して、彼の気色《けしき》を候《うかが》ひたりしに、例の言寡《ことばすくな》なる男の次いでは言はざれば、

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