づき》を重ぬる体《てい》を打目戍《うちまも》れり。
「もう一盞《ひとつ》戴きませうか」
 笑《ゑみ》を漾《ただ》ふる眸《まなじり》は微醺《びくん》に彩られて、更に別様の媚《こび》を加へぬ。
「もう止したが可いでせう」
「貴方《あなた》が止せと仰有《おつしや》るなら私は止します」
「敢《あへ》て止せとは言ひません」
「それぢや私酔ひますよ」
 答無かりければ、満枝は手酌《てじやく》してその半《なかば》を傾けしが、見る見る頬の麗く紅《くれなゐ》になれるを、彼は手もて掩《おほ》ひつつ、
「ああ、酔ひましたこと」
 貫一は聞かざる為《まね》して莨を燻《くゆ》らしゐたり。
「間さん、……」
「何ですか」
「私今晩は是非お話し申したいことがあるので御坐いますが、貴方お聴き下さいますか」
「それをお聞き申す為に御同道したのぢやありませんか」
 満枝は嘲《あざけら》むが如く微笑《ほほゑ》みて、
「私何だか酔つてをりますから、或は失礼なことを申上げるかも知れませんけれど、お気に障《さ》へては困りますの。然《しか》し、御酒《ごしゆ》の上で申すのではございませんから、どうぞそのお意《つもり》で、宜《よろし》うございますか」
「撞着《どうちやく》してゐるぢやありませんか」
「まあそんなに有仰《おつしや》らずに、高《たか》が女の申すことでございますから」
 こは事難《ことむづかし》うなりぬべし。克《かな》はぬまでも多少は累を免れんと、貫一は手を拱《こまぬ》きつつ俯目《ふしめ》になりて、力《つと》めて関《かかは》らざらんやうに持成《もてな》すを、満枝は擦寄《すりよ》りて、
「これお一盞《ひとつ》で後は決《け》してお強ひ申しませんですから、これだけお受けなすつて下さいましな」
 貫一は些《さ》の言《ことば》も出《いだ》さでその猪口《ちよく》を受けつ。
「これで私の願は届きましたの」
「易《やす》い願ですな」と、あはや出《い》でんとせし唇《くちびる》を結びて、貫一は纔《わづか》に苦笑して止みぬ。
「間さん」
「はい」
「貴方失礼ながら、何でございますか、鰐淵さんの方に未《ま》だお長くゐらつしやるお意《つもり》なのですか。然し、いづれ独立あそばすので御坐いませう」
「勿論《もちろん》です」
「さうして、まづ何頃《いつごろ》彼方《あちら》と別にお成りあそばすお見込なのでございますの」
「資本のやうなも
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