せて有るところがクレオパトラよ。然し、壮《さかん》な女だな」
「余り壮なのは恐れる」
 佐分利は頭《かしら》を抑《おさ》へて後様《うしろさま》に靠《もた》れつつ笑ひぬ。次いで一同も笑ひぬ。
 佐分利は二年生たりしより既に高利の大火坑に堕《お》ちて、今はしも連帯一判、取交《とりま》ぜ五口《いつくち》の債務六百四十何円の呵責《かしやく》に膏《あぶら》を取《とら》るる身の上にぞありける。次いでは甘糟の四百円、大島紬氏は卒業前にして百五十円、後《ご》に又二百円、無疵《むきず》なるは風早と荒尾とのみ。
 ※[#「※」は「さんずい+氣」、86−9]車は神奈川に着きぬ。彼等の物語をば笑《ゑま》しげに傍聴したりし横浜|商人体《しようにんてい》の乗客は、幸《さいはひ》に無聊《ぶりよう》を慰められしを謝すらんやうに、懇《ねんごろ》に一揖《いつゆう》してここに下車せり。暫《しばら》く話の絶えける間《ひま》に荒尾は何をか打案ずる体《てい》にて、その目を空《むなし》く見据ゑつつ漫語《そぞろごと》のやうに言出《いひい》でたり。
「その後|誰《たれ》も間《はざま》の事を聞かんかね」
「間貫一かい」と皺嗄声《しわかれごゑ》は問反《とひかへ》せり。
「おお、誰やらぢやつたね、高利貸《アイス》の才取《さいとり》とか、手代《てだい》とかしてをると言うたのは」
蒲「さうさう、そんな話を聞いたつけね。然し、間には高利貸《アイス》の才取は出来ない。あれは高利を貸すべく余り多くの涙を有つてゐるのだ」
 我が意を得つと謂《い》はんやうに荒尾は頷《うなづ》きて、猶《なほ》も思に沈みゐたり。佐分利と甘糟の二人はその頃一級|先《さきだ》ちてありければ、間とは相識らざるなりき。
荒「高利貸《アイス》と云ふのはどうも妄《うそ》ぢやらう。全く余り多くの涙を有つてをる。惜い事をした、得難い才子ぢやつたものね。あれが今居らうなら……」
 彼は忍びやかに太息《ためいき》を泄《もら》せり。
「君達は今逢うても顔を見忘れはすまいな」
風「それは覚えてゐるとも。あれの峭然《ぴん》と外眥《めじり》の昂《あが》つた所が目標《めじるし》さ」
蒲「さうして髪《あたま》の癖毛《くせつけ》の具合がな、愛嬌《あいきよう》が有つたぢやないか。デスクの上に頬杖《ほほづゑ》を抂《つ》いて、かう下向になつて何時《いつ》でも真面目《まじめ》に講義を聴いてゐたと
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