に結《ゆ》ひて、肉色縮緬《にくいろちりめん》の羽織に撮《つま》みたるほどの肩揚したり。顔を赧《あか》めつつ紳士の前に跪《ひざまづ》きて、慇懃《いんぎん》に頭《かしら》を低《さぐ》れば、彼は纔《わづか》に小腰を屈《かが》めしのみ。
「どうぞ此方《こちら》へ」
 娘は案内せんと待構へけれど、紳士はさして好ましからぬやうに頷《うなづ》けり。母は歪《ゆが》める口を怪しげに動して、
「あの、見事な、まあ、御年玉を御戴きだよ」
 お俊は再び頭《かしら》を低《さ》げぬ。紳士は笑《ゑみ》を含みて目礼せり。
「さあ、まあ、いらつしやいまし」
 主《あるじ》の勧むる傍《そば》より、妻はお俊を促して、お俊は紳士を案内《あない》して、客間の床柱の前なる火鉢《ひばち》在る方《かた》に伴《つ》れぬ。妻は其処《そこ》まで介添《かいぞへ》に附きたり。二人は家内《かない》の紳士を遇《あつか》ふことの極《きは》めて鄭重《ていちよう》なるを訝《いぶか》りて、彼の行くより坐るまで一挙一動も見脱《みのが》さざりけり。その行く時彼の姿はあたかも左の半面を見せて、団欒《まどゐ》の間を過ぎたりしが、無名指《むめいし》に輝ける物の凡《ただ》ならず強き光は燈火《ともしび》に照添《てりそ》ひて、殆《ほとん》ど正《ただし》く見る能《あた》はざるまでに眼《まなこ》を射られたるに呆《あき》れ惑へり。天上の最も明《あきらか》なる星は我手《わがて》に在りと言はまほしげに、紳士は彼等の未《いま》だ曾《かつ》て見ざりし大《おほき》さの金剛石《ダイアモンド》を飾れる黄金《きん》の指環を穿《は》めたるなり。
 お俊は骨牌《かるた》の席に復《かへ》ると※[#「※」は「にんべん+牟」、13−15]《ひとし》く、密《ひそか》に隣の娘の膝《ひざ》を衝《つ》きて口早に※[#「※」は「口+耳」、13−15]《ささや》きぬ。彼は忙々《いそがはし》く顔を擡《もた》げて紳士の方《かた》を見たりしが、その人よりはその指に耀《かがや》く物の異常なるに駭《おどろ》かされたる体《てい》にて、
「まあ、あの指環は! 一寸《ちよいと》、金剛石《ダイアモンド》?」
「さうよ」
「大きいのねえ」
「三百円だつて」
 お俊の説明を聞きて彼は漫《そぞろ》に身毛《みのけ》の弥立《よだ》つを覚えつつ、
「まあ! 好いのねえ」
 ※[#「※」は「魚+單」、14−6]《ごまめ》の目
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