唾《かたづ》を嚥《の》みたりし荒尾は思ふところありげに打頷《うちうなづ》きて、
「女といふ者はそんなものじやて」
 甘糟はその面《おもて》を振仰ぎつつ、
「驚いたね、君にしてこの言あるのは。荒尾が女を解釈せうとは想はなんだ」
「何故かい」
 佐分利の話を進むる折から、※[#「※」は「さんずい+氣」、83−12]車《きしや》は遽《にはか》に速力を加へぬ。
佐「聞えん聞えん、もつと大きな声で」
甘「さあ、御順にお膝繰《ひざくり》だ」
佐「荒尾、あの葡萄酒《ぶどうしゆ》を抜かんか、喉《のど》が渇《かわ》いた。これからが佳境に入《い》るのだからね」
甘「中銭《なかせん》があるのは酷《ひど》い」
佐「蒲田《かまだ》、君は好い莨《たばこ》を吃《す》つてゐるぢやないか、一本|頂戴《ちようだい》」
甘「いや、図に乗ること。僕は手廻《てまはり》の物を片附けやう」
佐「甘糟、※[#「※」は「火+卒」、84−2]児《マッチ》を持つてゐるか」
甘「そら、お出《いで》だ。持参いたしてをりまする仕合《しあはせ》で」
 佐分利は居長高《ゐたけだか》になりて、
「些《ちよつ》と点《つ》けてくれ」
 葡萄酒の紅《くれなゐ》を啜《すす》り、ハヴァナの紫を吹きて、佐分利は徐《おもむろ》に語《ことば》を継ぐ、
「所謂《いはゆる》一朶《いちだ》の梨花海棠《りかかいどう》を圧してからに、娘の満枝は自由にされて了《しま》つた訳だ。これは無論親父には内証だつたのだが、当座は荐《しき》つて帰りたがつた娘が、後には親父の方から帰れ帰れ言つても、帰らんだらう。その内に段々様子が知れたもので、侍|形気《かたぎ》の親父は非常な立腹だ。子でない、親でないと云ふ騒になつたね。すると禿《はげ》の方から、妾だから不承知なのだらう、籍を入れて本妻に直すからくれろといふ談判になつた。それで逢つて見ると娘も、阿父《おとつ》さん、どうか承知して下さいは、親父|益《ますま》す意外の益す不服だ。けれども、天魔に魅入られたものと親父も愛相《あいそ》を尽《つか》して、唯《ただ》一人の娘を阿父さん彼自身より十歳《とを》ばかりも老漢《おやぢ》の高利貸にくれて了つたのだ。それから満枝は益す禿の寵《ちよう》を得て、内政を自由にするやうになつたから、定めて生家《さと》の方へ貢《みつ》ぐと思の外、極《きめ》の給《もの》の外は塵葉《ちりつぱ》一本|饋《や》らん
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