せんくつ》を見出して来たのだ。それで我々を引張つて行つて、大いに気焔《きえん》を吐く意《つもり》なのさ」
「何じやい、何じやい! 君達がこの二人に犠牲に供されたと謂《い》ふなら、僕は四人の為に売られたんじや。それには及ばんと云ふのに、是非浜まで見送ると言うで、気の毒なと思うてをつたら、僕を送るのを名として君達は……怪《け》しからん事《こつ》たぞ。学生中からその方は勉強しをつた君達の事ぢやから、今後は実に想遣《おもひや》らるるね。ええ、肩書を辱《はづかし》めん限は遣るも可《よ》からうけれど、注意はしたまへよ、本当に」
この老実の言《げん》を作《な》すは、今は四年《よとせ》の昔|間貫一《はざまかんいち》が兄事《けいじ》せし同窓の荒尾譲介《あらおじようすけ》なりけり。彼は去年法学士を授けられ、次いで内務省試補に挙《あ》げられ、踰えて一年の今日《こんにち》愛知県の参事官に栄転して、赴任の途に上れるなり。その齢《よはひ》と深慮と誠実との故《ゆゑ》を以つて、彼は他の同学の先輩として推服するところたり。
「これで僕は諸君へ意見の言納《いひをさめ》じや。願《ねがは》くは君達も宜《よろし》く自重してくれたまへ」
面白く発《はや》りし一座も忽《たちま》ち白《しら》けて、頻《しきり》に燻《くゆ》らす巻莨《まきたばこ》の煙の、急駛《きゆうし》せる車の逆風《むかひかぜ》に扇《あふ》らるるが、飛雲の如く窓を逸《のが》れて六郷川《ろくごうがわ》を掠《かす》むあるのみ。
佐分利は幾数回《あまたたび》頷《うなづ》きて、
「いやさう言れると慄然《ぞつ》とするよ、実は嚮《さつき》停車場《ステエション》で例の『美人《びじ》クリイム』(こは美人の高利貸を戯称せるなり)を見掛けたのだ。あの声で蜥蜴啖《とかげくら》ふかと思ふね、毎《いつ》見ても美いには驚嘆する。全《まる》で淑女《レディ》の扮装《いでたち》だ。就中《なかんづく》今日は冶《めか》してをつたが、何処《どこ》か旨《うま》い口でもあると見える。那奴《あいつ》に搾《しぼ》られちや克《かな》はん、あれが本当の真綿で首だらう」
「見たかつたね、それは。夙《かね》て御高名は聞及んでゐる」
と大島紬《おほしまつむぎ》の猶《なほ》続けんとするを遮《さへぎ》りて、甘糟の言へる。
「おお、宝井が退学を吃《く》つたのも、其奴《そいつ》が債権者の重《おも》なる者だと
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