は感ぜず、渓流に沿って流れる冷気が身内に伝わってくる。
 孤独、寂寥、そういう思いの中に私は沈む。寂寥が渦を巻いて、その中心に、寂寥の眼とも言えるものがある。恰も颱風の中心みたいに、その眼も真空だ。そこを見つめていると、ふっと、も一つの眼が浮んでくる。秋子の眼だ。それが、私ははっきり言える。白痴の眼だ。私にとり憑いてる眼だ。白痴なだけに、私はそれから遁れようはない。だが、それもすぐに消えて、私はぞくぞく体が震える。寂寥だけが残る。
 私は立ち上り、足を早めて宿に帰った。
「どこに行っていらしたの。」
 秋子はその眼をひたと私に据える。いつまでも離さない。
 お膳が出ていた。酒も出ていた。酒をぐいぐい三四杯のんで、私は自分でも突然の思いで言った。
「浅間に登ってみようか。」
 秋子はなにか腑に落ちないらしく、黙っている。
「登ろうよ。」
「大丈夫でしょうか。」
「なにが?」
「あなた、お登りなすったことがありますの。」
「あるよ。」
「ほんとですか。」
「ほんとだとも。噴火口がどうなってるか、はっきり説明出来るよ。」
「そんなら、登りましょう。」
 一度そうきめると、彼女はすぐにも登りた
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