にする私の癖や、はき替えを一つ持って来てることを、知っているのだ。ワイシャツの袖口が汽車の煤煙に黒ずんでるのを見て、拭いてあげるからライターの油を出しなさいと言う。ワイシャツの着替えを持って来なかったことも、ライター・オイルの小瓶を一つ持ってることも、知っているのだ。梨に添えてあるナイフがよく切れないので、私のナイフをかして下さいと言う。私がナイフを持ってることを、知っているのだ。酒の前にノルモザンをのみますかと言う。私にノルモザンの用意があることを、知っているのだ。そうなると、少なからず不気味である。何でも知っているのだ。爪切り鋏を持ってることも知っている。髭剃りのあとにつけるクリームを持たないことも知っている。文庫本を二冊持ってることも知っている。トランプを一組持ってることも知っている。ヒロポンとアドルムと両方とも持ってることも知っている。私の鞄の中を開けて見た筈はないのに、すべて見通しだ。何にも見ていないような殆んど無表情なその眼眸の前に、私はただもう縮こまってしまった。
彼女の方が女主人公で、私はその従僕みたいだ。
宿の女中までが、私には何にも尋ねず、秋子の指図をあおぐので
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