に引出していけば、きりがない。各種各様のものが、秩序も順序もなく、雑然と堆積しているのである。だが、その一つ一つのなかには、或る心理や性格の断片が、くっきりと印象されていて、それを引延せば、一篇の小説になるようなものが、いくらもある。故人を取扱う場合に、その故人の身辺の反故が最も役立つことの多いように、現代人を取扱う場合に、こうした話の屑が最も役立つことが多い。文学者は往々、屑屋以上の丹念さと注意とで、話の屑籠のなかをひっかき廻す。
 ただ、文学者の歎きは、話の屑籠のなかに、無用なものが余りに多いことである。私も多少文学をやるところから、或る海軍士官が、私へのおみやげとして、次のような話をシベリアから持ってきてくれた。
      *
 シベリアは寒い。その寒さが、秋になると、急激に襲ってくるからたまらない。一夜に、十度ほども気温が急降することがある。
 そうした夜の、翌朝のことだ。起き出して、黒竜江の河畔に出てみると、無数に鴨が浮いている。南の方へ渡り後れた鴨にしては、余りに数が多いので、ふしぎに思うと、なあに、昨日までは、まださほど寒気が激しくはなかったのだ。河は氷もはらずに、洋々と流れていたのだ。それが、一晩のうちに、十度近くも気温が下ったので、河は一面に厚い氷にとざされている。そこに鴨が浮いているので、定めし呑気な奴だろうと思って、氷の上を近よっていくと、少しも逃げない。ピストルの着弾距離までも寄せて、平気である。
 これは面白い、というわけで、早速、ピストルで鴨猟だ。ところが、ピストルの音にもまだ逃げない。よく見ると、鴨は足をすっかり氷に張りつめられて、飛ぶことが出来ないのだ。
 何のことはない、玩具の鴨を弾つようなもので、いくらでもとれる。一々弾つのは面倒くさいので、大きな鎌をもってきて、氷に足をとられて動けないでいるやつを、その足を刈ってはとるのだ。これこそ本当のカモガリだ。
 そういうわけで、鴨の足だけは、氷のなかに刈り残される。それが翌年になって、春の末の温気と共に、河に張りつめた氷がとけると、何しろ天地万物が芽ぐむ春のことだ、鴨の足からも芽を出して、立派な鳥となる。一冬氷や雪のなかに閉籠められていたので、全身真白で、鴨の足から芽を出した鳥なので、それをカモメというのだ……。
      *
 右のような話をして、海軍士官は朗かに笑った。私も笑った
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