が相反するのは、市内電車の、終電車と始発電車である。これは空気の澄明の度合や他の騒音の度合によるのであろうが、終電車の音は、眠たげで重々しく鈍く、始発電車の音は、晴れやかで軽く鋭い。然るに、電車の内部はどうであるか。終電車の乗客は、僅かな例外を除いて、そして女給車などを除いて、みな鋭く眼を光らせ、表情を緊張させ興奮の色まで帯びて、精力的である。始発電車の乗客は、やはり僅かな例外を除いて、みなうとうとしており、頬の肉はたるみ、蒼ざめ疲れはてて、少しの元気もない。知らない者は恐らく反対の想像をするであろうが、実状はまさしくそうである。この、深夜の乗客が元気であり、早朝の乗客が疲れはててるということが、何を語るかは別問題として、その実状は、電車の音響とまさしく正反対で、終電車の音は疲れはてており、始発電車の音は元気である。その音とその実景と、これほど相反するものは他に少い。
      *
 常住不断に秒をきざんでる時計に、もし意識があって、自分で自分の音をきき続けたら如何でしょう、と尋ねた男がある。自分は現在その時計だ、と彼は云うのである。
 初め、腸狭窄で手術を受けてから、病気や手術に対
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