、足音をきくことによって、その人に対する愛の程度が測定出来るかも知れない。音だけに止るは無関心であり、音と共にイメージが喚起さるれば関心であり、そのイメージの如何によって、愛は半身に及び、やがて全身に及ぶ。
 但し、愛と反対の憎悪の方面に於ては、如何であるか――聞きもらした。
      *
 昼間は種々の雑音に邪魔されて駄目であるが、静かな夜間では、汽車の音をきいて、それが客車であるか貨車であるか、はっきり分るという人がある。
 客車は滑り、貨車は軋る、というのが原則らしい。但しこれは特殊の用語で、なお説明すれば、たとえば汽身の車輪の周囲を二米として、二百米の距離を走るには、車輪は百回まわればよいわけである。然るに、それだけの距離を走るのに、客車の車輪は百回は回転しない、即ち多少滑りゆくのであるが、貨車の車輪は百回以上回転する、即ち多少軋るのである。――勿論この説は、速度や重量など理学を無視した凡そ非科学的なものであるが、心理的には正しいと当人は云う。そして彼は汽車の姿を見ずにその音響だけによって、客車か貨車かを云いあてるのである。
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 音響とそれによる心理的イメージと
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