する恐怖のあまり、始終腹鳴りが気にかかっていた。そしていつしかその方へ極度の注意力が集中され、ごく微細な腸の鳴動もきき分けられるようになった。それが腸ばかりでなく、ひいては胃中の液体の音も聞きとられ、やがては、些細な気管の故障にも、呼吸音が聞き分けられた。そうなると、もう停止するところを知らず、平常でも、肺に出入する空気の音は固より、心臓の鼓動まで聞えてくる。云わば、常に自分の身体各部に聴診器をあててじっときき入ってるのと、全く同じ状態になってしまった。
彼はそれを神経衰弱のせいだとし、幻覚妄聴のせいだとしようとして、ひどく努力した。然し耳を自分の身体内部からそらすことが出来ず、呼吸と血の循環との規則的な音に、胃腸の蠕動の不規則な音が交錯して、その騒音に始終神経を刺激され、睡眠もよくとれないのだった。身体の内部は、暴風と激流と震動とのみで、いささかの静安もないのだ、と彼は云う。
そして彼は遂に発狂した。
思うに、彼の聴覚は触覚をもまきこみ、更にあらゆる内部感覚をもないまぜて、体内に大騒音を拵えだしたのであろうが、そうした騒音を記録出来ないものであろうか。
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