、文学者は注視し思考しているし、それが文学の中核となるのである。
卑俗の排除、偏見慣習の否定、日常性との闘争、不安懐疑の奥底の探求、そうした事柄はみな、右の事情から来る。
文学者は、或る何等かの壁にぶつかって、虚無のうちに身を横たえなければならないことがある。然しながらこの虚無は、全然の虚無ではない。それは、重大な明日のために、普通の明日を否定することに外ならない。もし「明日」が全然存在しないとしたならば、どうなるか。自殺への途しかないであろう。それは「悪霊」のスタヴローギンの最後の場合である。
虚無の中から創造されたもの、云い換えれば、否定の底に肯定される異常な「明日」を直接に表現されたものを、私は文学に要求したい。尤も、この直接の表現とは、創作技法上の形式を指すのではない。技法上の形式はどうでもよろしい。何等かの肉体的なつながりがあればよいのである。それはただ「何等かの」で差支えない。肉体的なつながりそのものが、文学に於ては直接の表現になる。
ところで、一歩退いて考えれば、というのはつまり、余りにつきつめた物の云い方をしたので、一息ついて気を弛めてみれば、吾々は普通の場合、
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング