接にそれを表現したいからこそ、実生活は文学とは異ると云い得るのである。それが直接に表現出来なければ、文学もやはり実生活同様まだるっこしいものに過ぎなくなる。
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凡そ文学者は、普通の場合に於ても、「明日」を待っているであろうか。確実に予想され得る現実的な「明日」を待っているであろうか。
前の「馬鹿云々」の話ではないが、一般に、吾々文学者には明日がない、ということが云い得られる。その時もし一人の文学者が、説者に尋ねるとする、どうして君には明日がないんだと。説者は恐らく答えるだろう、なあに、僕には明日はあるさ。すると、問者もこう云うだろう、僕にだって、君以上に明日がないということはないと。然しながら、両者の個人的な意見は、そのまま真実であるとしても、この場合は何等の力も持たず、ただ、吾々文学者には明日がないということだけが、生きて残る。
文学者とはそういうものなのである。というより寧ろ、文学とはそういうものなのである。そしてこの場合の「明日」の否定は、前の或る男の話と同様、明日のあらゆる事柄を呑みつくすほどの、或る重大な不安定な「明日」の存在を意味する。そうした「明日」を
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