うかも知れないが、こういう風な対話だと私は覚えている。ところで、おかしなことには、AもBも、自分は馬鹿ではないと云いながら、そして実際そうかも知れないが、それでもなお、吾々は馬鹿だということは否定されずに残る。この否定されずに残るものが、最も重要であって、この場合にはそれが最初に云われただけのことである。多くの場合、それは最初にも最後にも云われない。オブローモフの場合には、それが云われなかった。云われなかったけれども、云われる以上に主張された。
 文学に於て、いつも吾々が注目し考察するのは、云われる云われないに拘らず、その最も重要な一事である。前に述べた男の場合のただ一つの「明日」である。「明日」は僕にとって凡て架空だという言葉の裏の、本当に重大な一つの「明日」である。その「明日」を、どうして、直接に表現出来ないのであろうか。直接に表現出来ない所以を、彼は、実生活は文学とは異るという言葉で云ってのけた。実生活では実際、それは直接に表現し難い。何故かを説明することは今の私には興味がもてない。然し文学に於ても、何故直接に表現出来にくいのであろうか。吾々が注目し考察するのはそれであり、而も直
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