にいたことが、後で分った。
 ところで、そうした危険な場合、大抵は、それは間接的な表現を取る。重大な「明日」の存在が、普通の「明日」の否定を以て表現される。なぜだろう。世間体の故か。一種の体面の故か。或は、直接の表現に堪え得ないような貴重な脆いものがその中に含まっている故か。後になって、そのことを彼に話すと、彼は異様な微笑を浮べて答えた、実生活は文学とは異ると。
 それならば、文学ではどうだというのだろう。実際、文学では、普通の「明日」のないような人物や場合が、屡々探求される。それが文学の最も感動的な部分とさえも云える。そしてそれは、どんな風に表現されているだろうか。
      *
 文学に於ても、特殊なものは、間接な表現によって強く表明されることが多い。
 ゴンチャロフの「オブローモフ」の中に、面白い一節がある。オブローモフは移転を家主から迫られているが、考えただけでも、移転のごたごたに堪えることが出来ない。従僕のザハールはそれに対して、ふと、他の人達もみんな引越しをする、上手に引越しをする……と云い出す。その時、オブローモフは椅子から飛び上って怒鳴りつける。「他の人達は上手だって
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