スーツケース一つが残っていた。家を出る時南さんは、大島へ一二泊旅をしてくる、とだけ云い置いて、平素と変りはなかった。――過失死か自殺か、不明だった。新聞紙上には大体過失と報ぜられた。
 万一の希望も空しく終り、三十五日目に一般の告別式が行われることとなり、その前夜、親しい者だけで、改めて仏事とも通夜ともつかない集りがあった。
 故人の引伸し写真と位牌とを中心に、小さな気持よい祭壇が拵えてあった。特別の遺愛の品とてないので、いろんな身辺の品が一纒めにして置かれていた。万年筆、鉛筆、紙切ナイフ、補助の眼鏡、古い懐中時計、ネクタイピン、原稿紙の上にのってた形態《えたい》の知れない鉄塊など、ごくありふれたがらくたが、遺骨の代りになったのである。そして美しい新鮮な花が祭壇を殆んど埋めつくし、その色彩と芳香は蝋燭の火や線香の煙を圧していた。故人が愛酒家だっただけに、集った者のうちにもそれが多く、一座は何となく宴席の趣きを呈した。若い人々の間では、社会や道徳や文化や芸術などの問題について元気な議論が交された。
 正夫も遅くまで起きていた。家中のことを仕切ってる中根のおばさんは、その晩、へんに正夫を自
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