たんだ。両手をひろげたまま飛びこんだと思うよ。」
「そんなこと、豪かあないよ。」
「豪くはないさ。」
「じゃあ何だい。」
正夫は返事をしなかった。チビも口を噤んだ。二人とも妙に淋しいものにぶっつかったのである。
南さんの歩き方が少し怪しいのは、単に酔ってる時ばかりではなかった。ふだんでもどうかすると、膝の関節に弾力がなく、軽微な中風患者みたいに、ぎくしゃくした歩きようをした。それから、例えば茶碗とか箸とかを取る時、少し見当をちがえて、手がわきにそれることもあった。土瓶やコップを引っくり返すことも多かった。身体の平衡を取り失ってるらしかった。
然し南さん自身は、何か沈欝に考えこんだ様子で、そして泰然と落着きはらっていた。三島さんの伯父さんとかいう人が来た時なんか、南さんは愛想よくそれを二階に招じたのだった。――三島さんという若い女の人は、正夫も知っていた。いつか家に来た時、大理石と青い玻璃とで出来てる大きなインクスタンドを貰ったことがあった。背の低い中肉の女で、紫色と白線とが目立つ着物をきていた。眉がきれいに細長く弧をなしているのと、唇が薄くくっきりと際立ってるのとが、正夫の頭に
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