政治の外に生きるとか、そんなことを論じあいましたね。それも親子の愛情を持って、冗談まじりに、そして信昭君の方からいい加減に調子を合せて、謂わば酒の肴にしたのでしょうか。
 そして沈黙の合間に、あなたは、冷たい微風に似た寂寥を感じましたね。この点については、私はあなたを尊敬しますよ。

 守山未亡人千賀子さん
 翌朝[#「翌朝」は底本では「習朝」]、あなたは珍らしく寝坊しましたね。前夜、ウイスキーの酔いが頭にのぼり、またいろいろな雑念が頭にのぼって、なかなか眠れなかった故でしょう。
 あなたが起きた時にはもう、信昭君も高木君も出かけていました。そのことを、あなたはちょっと意外に思ったようですが、すぐにその気持ちも忘れてしまいましたね。そしていつもより入念にお化粧をしましたね。それから、立候補のための資格審査の申請に署名をし、秋山さんのところと、党の本部とに、立候補を承諾する電話をかけました。党の本部からは、改めて然るべき人が連絡に来るということで、それで見ても、あなたの社会的地位が相当なものだということが分りますね。
 ところが、そこでちょっとあなたは迷いましたね。なにか大きな不安が襲ってきて、じっと落着いてることが出来ず、何かをしなければならないが何をしてよいか分らず、当惑しましたね。相当な社会的地位にあるあなたがいよいよ立候補の決心をしたとなると、いろいろ処理すべきことも多い筈でしたが、さて、何をどう処理すべきか分りませんでしたね。あいにく訪問客もなく、さし当って訪問すべき人も見出せず、さりとて、猫を相手に炬燵にあたったり日向ぼっこをしたりするのも、もう出来ないことでした。活動しなければならない身ですからね。
 そして、ためらい惑ったあげく、まず墓詣りをしようとあなたは思いつきましたね。これには私も意外でしたよ。然しこの墓参は、ほかに行くところもないし、さりとて何処かへ行かなければならないから、という程度のものであると共に、また、一度思いつけばそれが気持にぴったりときて、あなたの言葉をかりれば、家庭の秩序の一環をなすものでさえありました。
 思いつくと同時にあなたはそれにきめて、それからこれは異例なことですが、女中をお伴に連れてゆくことにしましたね。どうしてそんな気になったのか。あなた自身にもよく分らなかったことでしょう。まあ婦人代議士という気分のせいだったでしょ
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