未亡人
豊島与志雄

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 守山未亡人千賀子さん
 私が顔を出すと、あなたはいつも擽ったいような表情をしますね。この擽ったいというやつは、なかなか複雑微妙な感情でして、私はいったいあなたから嫌われてるのか好かれてるのか、戸惑いさせられますよ。もっとも、私としては、あなたから好かれようと嫌われようと、そんなことはどうでも宜しいのですが、あなたの方では、それをはっきりさせとく必要がありますよ。さもないと、私はあなたを擽り擽り、息の根をとめるようなことになるかも知れませんからね。
 あなたは猫を擽ってみたことがありますね。ところが、猫は全く平気だったでしょう。擽られる場所が異るにつれて、或は喉を鳴らしたり、或は耳を垂れたり、或は手足を伸ばしたり、それだけで、少しも擽ったがる様子は見えなかったでしょう。それを不思議がって、更に猫をあちこち擽ってみてるあなたの方は、なにか猥らがましくそして滑稽でしたよ。つまり、あなたの方が猫より下劣でした。
 猫と同じように、あなたが、硝子戸の中で日向ぼっこをしたり、電気炬燵でうつらうつらしたり、やたらに欠伸をしたりするのを、私はとやかく言うのではありません。
 ――猫でさえも。
 そうです、猫でさえもそんなことをしてるのだから、人間がしていけないということはありますまい。家の中の用は女中や書生がしてくれるし、あなたは何にもしなくても構やしません。働かざる者は食うべからずと、そんな野暮なことを私は言いはしません。だが、日向の縁側や炬燵の上でうとうとしてる猫の居眠りは、あなたのそれよりは、少くとも純粋です。その時々の食物で腹を満たしさえすれば、或る程度の温気のなかに、ただ単純に居眠っているのです。だがあなたは、はっと気を取り直しては、秋山さんへ電話してみようか、どうしようかと、心の中でやきもきしていたではありませんか。
 ――猫に小判……。
 そんな諺は、猫の無智を軽蔑することにはならず、却ってそれを羨むことになるのです。秋山さんから果して五十万の現金が来るかどうか、あなたは待ちこがれて、猫を邪険に取扱ったことさえ
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