ありましたね。
 五十万円といえば、可なりの金額であることを私も知っています。それが、あなたの属してる保守党では、代議士の選挙費用などに雑作なく使い果されてしまいますね。金があったからこそ当選した代議士が、如何に多いことでしょう。だからあなたが、五十万の金を待ちこがれたことも、私には理解出来ますよ。あなたの御主人が生存中は、さすが政界の黒幕だけあって、ずいぶん多額の金が、あなたの家で受け渡しされたものです。未亡人のあなたの手でも同じことがなされました。そしてこんど、また選挙期になると、いろいろな人があなたのところに出入りするようになりましたね。あなたとしてはどうしても金が必要なところでしょう、守山未亡人という顔がありますからね。
 秋山さんから五十万円の現金が届けられると、あなたはほんとに嬉しそうな顔をしましたね。猫が鼠を捕えたよりももっと嬉しそうでしたよ。鼠を捕えた猫は、率直に飛び跳ねて喜ぶものですが、あなたはそれよりもっと深刻で、胸が躍りたつのを息をつめて押しこらえ、そして抑えに抑えた喜びを、瞳の光りと眼尻の皺のなかに深々と湛えていました。そして嵩張った紙幣束を金庫にしまってから、こんどは真剣に考えこみましたね。その金を、既に立候補してる同士の其々氏等に分配してやったものか、或は、分配は少額にしておいて、自分も立候補したものかどうか、その運命的な重大事がまだ決定していなかったでしょう。
 ――いいえ、それはきまっていました。
 そんなことは嘘ですよ。あなたの御主人がただ政界の黒幕として終始されたおかげで、あなたが立候補されても、公職追放令にひっかかることはないと、それが分明していただけで、あなたはまだ本当に決心はつかず、資格審査の申請に署名していなかったではありませんか。
 あなたは考えあぐんで、慌しく外出しましたよ。
 丁度お誂えむきに、お茶の集りがありましたね。この集りの主催者が、党の首領株の一人たる大塚さんの夫人であるだけに、表面は単なる社交的な空気のなかに、自然と、あちこちで政治向きの事柄が囁き交わされましたでしょう。その一つとして、ちょっとした隙間に大塚夫人はあなたに囁きましたね。
「こんど、立候補なさいますそうですね。期待しておりますわ。」
 あなたは左手を着物の襟元にもってゆきながら、微笑しました。
「あら、わたくしなんか、出る幕ではございませんわ
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