。皆さんがしきりにお勧めなさいますけれど……。」
そのような外交的な言葉を、大塚老夫人は無視してかかりましたね。
「わが党の勝利は眼に見えているそうですよ。」そして大塚夫人は声を低めました。「厚生省など婦人の意見がもっとも必要だそうですから、その参与官にあなたが当てられているとか聞きましたよ。」
「まあ、おからかいなすってはいやでございますわ。」
あなたは拗ねたような身振りをし、そこへ他の人々がやって来たので、話はそれきりに終りました。けれど、その時、あなたの決心は本当にはっきり定まったのではありませんか。当選はたいてい間違いないとして、その前途に厚生参与官、それだけの夢が、あなたの立候補を決定せしめたのです。夢……と私は言いましたが、或は実現されることかも知れません。それにしても、厚生参与官という言葉は、あなたにとっては、何等の内容もない架空のもので、またそれだけに一層光栄あるものと見えたでしょう。
いつぞや、あなたは或る婦人会で、ちょっとしたお饒舌りをしましたね。
「今やわたくしどもにも、男子と同様に、参政権が与えられました。そしてこの婦人に与えられました権利を本当に生かしまするには、まず第一に、わたくしども婦人の生活の仕方、生き方を、改革しなければなりません。その第一歩としましては、これまでわたくしどもを身動き出来ないまでに縛りつけていました台所の仕事から、わたくしども自身を解放しなければなりません。身を解放して、そして更に、台所の仕事を主宰するようにならなければなりません……。」
そういう主旨の話は、皆さんから大喝采を受けましたね。そしてあなたは得意でしたね。ところが、あなた自身、台所の仕事などはあまりしたことがないんですからね。そして、台所の仕事から解放されてそれを逆に主宰するとは、いったいどういうことであるか、言ってるあなた自身にも聞いてる皆さんにも、さっぱり分りはしなかったんですよ。ただなにかぼーっと空想的な微光がさしてるに過ぎませんでした。厚生参与官と全く同じことですよ。然し、そんなものがあなたの運命を決定する機縁になるのだから、ばかには出来ませんね。
あなたは自宅に電話をかけて、御馳走になって汗ばんだからお風呂を沸かしておくようにと、女中に言いつけました。が実は、大して御馳走にもならず、汗ばんでもいませんでしたよ。けれど、なにか事があると
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