のあたりの、脂肪の多い肌にじかに触れ、あなたの髪の香をかぎ、あなたの息を頬に受け、あなたの膝に肱をつき、そしてすっかり萎縮してしまいました。普通なら、それぐらいのことは何でもないんですが、底にロマンチックな憧れがあるものだから、そしてあなたが全身の毛穴を汗ばましてるものだから、打拉がれた気持ちになるのも無理はありません。思いがけない局面になったのです。その局面のなかで、一個の未亡人にぶっつかったのです。彼は慴え縮こまって、黙ってウイスキーを飲みましたね。そして彼が殆んど口を利かなかったのは、あなたにとって仕合せなわけでした。もしも彼が下らないことを饒舌りだしたり、勝手な真似をしたりしたら、あなたはゆっくり玩具を楽しむことが出来なかったでしょうからね。
あなたの方はもうそれで充分だったでしょうけれど、高木君は可哀そうに、心の置きどころが分らなくなって、ぐずぐずしてるうちに時間を過ごし、泊ってゆくようなことになってしまいました。しかも、あなたからはもう一顧も与えられず、そして散文的な情景が展開されたのですよ。
信昭が、友人が帰ってからそこへ顔を出すと、また酒の興がまし、あなたもだいぶ飲みましたね。そして書生や女中まで呼び出して、宣言しました。
「わたしは、とうとうお断りしかねて、衆議院議員の選挙に立候補することになりました。それで、これから当分の間、人の出入も今迄より多くなるでしょうし、ご用もふえることでしょうよ。けれど、家の中のことは、手をはぶかずに、きちっとやっていって下さいよ。家庭の秩序と言いますか、それだけはいつも保ってゆかなければなりませんからね。」
書生と女中はお辞儀をするように頷きましたね。まったく、家庭の秩序とは、大出来でしたよ。
然しそのようなことには、信昭君なんかは無関心のようでした。若い科学者たる彼は、あなたの立候補を揶揄的な眼でしか見ていませんでしたよ。
「それもまあ、お母さんの道楽としてはいいかも知れませんね。この頃、あまり面白いことがありませんから……。」
あなたは大袈裟に怒ったような様子をしましたね。
「また、なにを言うんですか。あなたはいつも政治を軽蔑しますが、現に、政治の中に生きていない人が一人だってあるでしょうか。」
「僕は政治の外に生きたいですね。現在のような政治ならですよ。」
そしてあなたたちは、政治の中に生きるとか、
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