ばかりではなく、全身の毛穴に汗ばんでいたではありませんか。
 高木君はなにか怖じ恐れて、顔を伏せ、手を引っこめましたよ。これが人間的な恋愛だったら、つまり、性慾ばかりでなくて愛情だったら、高木君は全身を投げ出したかも知れませんよ。
 そもそも、あなたが未亡人だったことがいけないのです。昂揚された恋愛というものは、男の方は別として、女の方は、令嬢でも構わず、人妻でも構わず、娼婦でも構わず、機縁さえあれば成立するものですが、未亡人ではなかなか困難ですよ。未亡人というものはたいてい、何か濁ったもの、淀んだもの、いやらしいものを、身につけています。つまりすっきりしていないんですね。すっきりした未亡人、これは特別なもので、謂わば珍宝で、めったにあるものではありません。あなたがその珍宝の一人だと自惚れてはいけませんよ。あなたは普通にありふれた未亡人の一人に過ぎませんよ。あなたの髪の毛はまだ黒々として美しく、肩はやさしい弧線を描き、瞳は澄んで輝き、唇はかるく濡いを帯び、全身の肉附は柔かく厚く……まあそういったことは事実でありますが、然し、あなたはやはり普通の未亡人で、どこかの隅っこに垢がたまっており、どこかの隅っこに臭気がこびりついており、どこかに空虚な隙間があり、どこかに歪んだものがあり、それが単に肉体的なばかりでなく、精神的にもそうなんです。つまり、真にすっきりとはしていないんですよ。
 ――未亡人というものには、人知れぬ苦労があります。
 それは苦労はありましょうよ。だけど、いったい苦労のない者が世の中にありますか。未亡人というものは、わざわざ余計な苦労を作りだして、自らそれを楽しんでるところさえありますね。性慾のことを言うのではありませんよ。世間に対抗して意地を張るからです。もっとおとなしい気持ちでおればよろしいんですがね。
 あなたもずいぶん意地を張りました。その意地が、こんど、代議士とか参与官とかいう空想で、すーっと貫きぬける見通しがついたものだから、つまり前途が開けて障碍がなくなったものだから、あなたはすっかりいい気になって、ちょっと高木君をもてあそんでみたのでしょう。だが、なんというけちな遊戯だったことでしょう。もっと大胆に、或は純粋に、せめて池の蛙ぐらいになったら如何でしたか。
 それにしても、高木君は気の毒でしたよ。あなたの大きな乳房の上の方、鎖骨のあたりや肩
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