婚は一種の束縛だ。……とそんな風に僕は感じて、それでもやはり憚られて、卑怯な真似をして自らごまかしていた。
その時、ほら、裏口をことこと誰か叩くような音がしたろう。僕はなぜだかぞーっとして竦んでしまった。
「え。」
声には出さないがそういった呼気で、母は半ば耳を傾け半ば僕の顔色を窺った。
「なあに……どうしたの。」
平気な声で、お前は不思議そうに僕と母との顔を見比べている。――幸福を夢みてる者は恐れは感じないそうだ。
「何でもないんだろう、犬か猫かなんだろう。」
そう云ったのが自分でも何だか変で、僕は火鉢の縁にかじりついた。
「おう寒い。」
「そう。褞袍《どてら》をあげましょうか。」
「いえ……なに……。」
「じゃあ、何ですね、お前はまた、お酒でもほしいんでしょう。」
「いいえ、今日は……。僕が酒を飲むと、一家の平和を害する、そう悟っちゃったから……。」
「そんな、皮肉を云うものがありますかね。珍らしく今日はいらないと云うかと思うと、すぐお前はそれだからね。」
母の眼は、駄々っ子でも見るような眼付だった。そういう母を僕は好きなんだ。それを、よく知ってる筈のお前は、僕に向って意
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