ぐれなんだが……ユーゴーの詩を読んで聞かしてやった。ランプの光のまわりに一家団楽しているところや、妻や子が主人の帰りを待ちわびてるところや、楽しい夕食の光景や、そういうつつましやかな家庭の幸福をね。それから最後に、あのコペーの詩さ。主人は朝から晩まで板をけずってる、日曜日に金使いもしない、二人の子供は鉋屑の中で遊んでる、お上さんは家の入口で、貯金の胸算用をしながら編物をしてる、一家安隠で商売繁昌だ。そういう風に僕はごまかして読んでいったが、実は、あれは柩造りの詩なんだ。次の疫病流行を夢想して、収入を空想するところまであるんだ。皮肉じゃないか。
僕も皮肉だった。心とうらはらな芝居をうっていた。心では、兄の家庭……と云うより寧ろ、兄の家庭で代表されるそうした家庭のことを考えていた。主人は朝から夕方まで勤めに出て、こつこつ機械的に働いてくる。細君は赤ん坊を守りしながら、家の中に閉じ籠ってる。そして粗末な夕食の膳、疲れきった無言の宵、それから薄ら寒い睡眠。それが文字通りに十年一日の如く連続する。一生の間。そして最後に、僅かな貯金と死。
勿論そんなことは、一口には云えない。そのつつましやかな
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