突然、母の顔が馬鹿に大きくなってつめ寄ってきた。僕はぞっとして、そこにつっ伏して泣き出した……いや、本当に泣いたかどうか覚えていないが、泣き出した気持だった。何だかもうすっかりぼやけてしまっていた。そして結局、むちゃくちゃに失言を釈明して、それから、床の中に逐いやられたものらしい。

 敏子
 こんな話をすると、お前は妙な疑を起すかも知れない。然し僕は何も、自分だけがお前達と違った父親の子であるなどと、そんな馬鹿げた空想を逞うしたことはないのだ。亡くなった父に対しても、それから殊には母に対しても、そんな冒涜な考えは毛頭懐いてやしない。亡父や兄に似寄りの点を自分の顔貌《かおかたち》の中に見出して、どうかすると悲観することはあってもね……。
 ただ僕は、心の上で、魂の上で、父や兄とは違った種族のような気がするのだ。何だかこう、天涯の孤客といったような気持なんだ。非常に自由で晴々としているが、また淋しい。そんな時僕は、自分の魂の父親、そういったものを想像する。空なものかも知れないけれど、またすぐどこかその辺に、自然の中に、空低くに、はっきり存在してるようにも思われる。そして僕はその父に対して
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